
今年6月、ソロ・アルバム収録曲や未発表曲から成るベスト盤 “Songbird: A Solo Collection” をリリースしたばかりだった。このアルバムは、多くの有名アーティストのエンジニアリング/プロデュースを手掛けてきたGlyn Johnsが、プロデュースとリミックスを担当した。唯一タイトル曲は、Fleetwood Macのアルバムからボーカル・パートをピックアップし、オーケストラの演奏による新アレンジを施したバージョンになっている。
Christine Anne Perfectは、1960年代後半にブリティッシュ・ブルース・シーンでセッション・キーボーディストとして活躍していた。やがて、Chicken Shackのメンバーとして、バンドの最初の2枚のアルバムに参加した。彼女が歌ったEtta Jamesのカバー "I'd Rather Go Blind" は、イギリスでシングル・ヒットを記録した。この曲は初ソロ・アルバム “Christine Perfect” に収録された。
Chicken Shack以前からFleetwood Macと共演することが多く、やがてJohn McVieと結婚。凡そ一年後にマックへ正式に加入した。Perfectという姓が好きではなかったのか、Johnと破局した後もMcVie姓を名乗り、1995年のアルバム “Time” まで、Johnおよびバンドと行動を共にした。
1974年、イギリスに見切りを付けたFleetwood Macは、Bob Welchの脱退と前後してアメリカへ活動拠点を移した。Mick FleetwoodはWelchの後任ギタリスト探しに奔走し、Buckingham Nicksとしてアルバムを発表するも苦戦していたLindsey Buckinghamをスカウトしたところ、Stevie Nicksも一緒ならOKという条件を呑んだ。
そして、Reprise Recordsにおける8作目 “Fleetwood Mac”(邦題:ファンタスティック・マック)と地道なプロモーション・ツアーが結実し、アルバム発売から1年、ついに全米No.1に輝いた。以降、不動のメンバーで10年余り活動したが、Stevie Nicksがソロでも成功を収めたことから脱退した。
また、Lindsey Buckinghamがバンド内での音楽的イニシャチィブを握るようになってきたことから、Mick Fleetwoodとの間に軋轢が生じて、グループを去ってしまった。Fleetwood Macは旧知のミュージシャンに声を掛けて、Buckingham Nicksの穴埋めをしたが、人気を取り戻すことはできなかった。

1998年、Fleetwood Macはロックの殿堂入りを果たし、Christineは記念イベントで久々にライブに参加した。そして、30年に及ぶ音楽活動に区切り付けて、イギリスの片田舎で隠居生活に入った。
2003年にはFleetwoodとJohn McVieがBuckinghamのプロジェクトに関わったことから、StevieとChristineにも声を掛けて全盛期のメンバーが揃った。制作されたアルバムは、Fleetwood Macとして発売された。Christineは当初からツアーには同行しない意向だったため、レコーディングには参加したものの、彼女の名前はクレジットすらされなかった。
そんな伯母の様子に、甥のDan Perfectが行動を起こした。ギターやプログラミングだけでなく、伯母と共同プロデュースという形で、20年振りのソロ・アルバム“In The Meantime”を制作し、2004年に発売された。いくつかのインタビューには応じたが、テレビの音楽番組で演奏したり、コンサートを開くことはなかった。
2014年にNicksのソロ活動が一段落したところで、Christine抜きでFleetwood Macとしてのコンサート・ツアー "On with the Tour" が計画された。その”噂”を聞きつけたChristineは、Fleetwoodに参加の意向を伝えた。Buckinghamも快く了承して、15年振りでバンドに復帰した。
音楽活動を再開したChristineは、2017年にNicksを除く3人が参加したアルバム“Lindsey Buckingham Christine McVie”を発表した。プロモ・ツアーは、Buckinghamの息の掛かったミュージシャンがバックを務め、MickとJohnは参加しなかった。そして、冒頭で触れたベスト盤がリリースされた今年、短期の病気入院の果てに帰らぬ人となった。
最初の二回の来日公演では、アンコールの最後で貴女のピアノの弾き語りで披露された "Songbird" が、一番心に染みました。心よりご冥福をお祈り申し上げます。
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