奇跡のリイッシュー!! Buckingham Nicks (1973 USA)


全曲YouTubeで聴けるようになっていました(笑)\(^O^)/(2023年1月23日追記)

Fleetwood Macと言えば、この二人の加入が、バンドに商業的な大成功をもたらした。その二人とは、Linsey BuckinghamStevie Nicksだ。そして、グループ加入前の1973年に発表した唯一のアルバムが、二人の名字を並べただけの本作“Buckingham Nicks”だ。最近いい仕事をしている韓国のBig Pinkから、またもや奇跡のリイッシューだ!

SunHeroの知る限りでは、これで二度目のCD再発売だ。最初のリイッシューは、音質が全く価格に見合わない酷い物だったらしい。輸入盤でしか入手できなかったこともあって、国内通販サイトでは軒並み三千円近い値段が付けられていた。ディスクユニオンの某店舗で、ほぼ四千円で売られていたのを見つけた時、既にどこの通販サイトにも在庫は無かった。

今回の再発も、韓国盤に日本語解説やら帯(背ラベル)を付けた輸入盤国内仕様で、税込定価が2,916円もする。価格だけなら以前と大差ないが、今回は本編10曲に、プラス11曲のボーナス・トラックが収録されている。音質的には、リマスターでは無いにしても、マスター音源にデジタル・ノイズ・リダクションを施したらしい。

とても40年以上前の録音とは思えないクリアなサウンドだ。とりわけ海賊版で出回っていたデモ音源の音質の良さには驚かされた。良くも悪くも、左右への音の振り分け具合の酷さまで、よく分かる。それでも、3曲のライブ録音(19~21曲目)や2曲のシングル・バージョン(11・12曲目)よりはマシ。

前者は、海賊盤でよく言われるサウンドボード音源ではないようだ。客席でステレオ・カセット・レコーダーで録音した感じだ。後者は、どちらもエレクトリック・ギターの音を強調しすぎたリミックスが耳障りだし、内1曲はどういう訳かモノラルだ。1970年代に入っても、資金の乏しいローカルなレーベルだと、モノラル録音もアリだが、彼等が契約したのは、当時の世界七大メジャーのひとつ=Polydorだ。

2枚目のシングルがモノラルだったのは、恐らくラジオ局にバラ撒かれたプロモーション用と思われる。FMラジオは音質の良さから、1960年代からステレオ放送が始まっていたが、一塔のアンテナでカバーできるエリアはAMラジオより狭かった。AMラジオがアメリカでステレオ化されたのは1980年代に入ってからだし、日本ではつくば博での試験放送を経て、1992年から本格的にステレオ化された。宣伝用にラジオ局に配布するには、モノラルで十分だった訳だ。

さて、13~18曲目のデモは、Buckinghamの父親のコーヒー農園の倉庫の地下室で録音された事から、熱心なファンの間では「コーヒー・プラント・デモ」と呼ばれているそうだ。最低でも4トラックのレコーダーを使っている感じで、リード・ボーカル、コーラス、ギター、ベースが個別に録音されたと思われる。ドラムスだけは、後から友人にでも頼んで、どうしても必要な箇所だけ叩いてもらった。そんな印象だ。

とにかく、後のFleetwood MacのアルバムやStevie Nicksのソロ・アルバムで、ようやく日の目を見た曲ばかりだが、既に1970年代前半に原型が出来ていた。そして、40年の歳月を超えて、今、これらのプロトタイプが、普通の洋楽ファンでも聴くことが出来るようになった。何とも感慨深い。

Fleetwood Mac洋楽を聞きかじり始めた頃のSunHeroは、輸入レコード店でこのLPレコードを見つけても、いつも買えずにいた。今回の初版LPジャケットに忠実な紙ジャケットの通り、収録内容の情報は皆無だ。レコード会社が後から貼ったと思われるステッカーで、「ファンタスティック・マック」に収録された“Crystal”のデュオ・バージョンを収録していることが分かるだけだった。

今回、実際に買ってみたら、もっと沢山の事実を知って、2,916円以上の価値を実感している。例えば、“Lola (My Love)”のイントロや間奏のギター・リフは、「ファンタスティック・マック」収録の“World Turning”にそのまま引き継がれている。

また、今のところStevie Nicksの最新作である“24 Karat Gold”(2014)で、初めて“Cathouse Blues”を聴いた時、元々英国のブルース・バンドだったFleetwood Macに参加した影響で、こんなブルース・ナンバーも書くようになったと、勝手に思い込んでいた。だが、本作のデモ楽曲集の中に、“Cathouse”としてブルーグラス調のプロトタイプが収録されている。40年間も仕舞っておいて、全然錆び付かない。だから、“24 Karat Gold”という訳だ。

楽曲以外にも、驚きの連続だった。見開きジャケットの内側には、8曲の歌詞とミュージシャンやスタッフのクレジットが載っていた。SunHeroが昔見たものは、見開き仕様ではなかったから、もし買ったとしても、こうした情報は得られなかっただろう。

そこには、プロデューサーが当時は全く無名だったKeith Olsenとある。モノクロで撮影されたジャケット写真など、パッケージ・デザイン全般を担当したのは、Jimmy Wachtelという人だ。もしやと思ったら、Waddy Wachtelのお兄さんだそうだ。Linsey以外のギタリストの気配がしたが、“Waddy”としかクレジットされていない人物が誰なのか?説明不要だろう。

ドラムスにはJim Keltnerの名前もある。どの曲で叩いているのか不明だが、たまたまスタジオにやって来た時に、ダメ元で頼んだのだろうか?既に売れっ子ミュージシャンだったから、無名のデュオにはブッキングの仕様など無かったはずだ。では、一体、本来の用件は何だったんだろうか?

ベースにはLinseyの名前もあって、Polydorと契約したと言っても、制作費を抑えるための苦労が忍ばれるが、Jerry Scheffという名前もある。当時既にElvis Presleyのバック・バンド=TCB Bandのメンバーだっただけでなく、売れっ子ミュージシャンとして、1960年代から活躍していた人だ。AORファンには、もうお気付きだとは思いますが、Jason Scheffのお父さんと言った方が判り易いだろう。

Presley亡き後も、TCB Bandは世界中のElvisファンに愛され、演奏活動を続けていたが、Jasonのお父さんは価値観の違いとかで脱退。そのままミュージシャンも廃業してしまったが、今年76歳で存命だそうだ。詳細は英語版Wikiで!それ程あちらでは著名人という訳だ。

ところで、Keith Olsenは、当時Sound City Studiosのハウス・エンジニアだったと思われる。既にCurt BoettcherやBrian Wilsonとも親交があり、プロデュース業に強い関心があったようだ。そんな彼がPolydorから受けた初プロデュースが、Buckingham Nicksだった。アルバム制作中は、二人を自宅に住まわせ、Nciksには家政婦としての給料も払っていたそうだ。

Mick Fleetwoodが、Bob Welchの後釜捜しで、Sound City Studiosを訪れたのは、1974年暮れらしい。そこで、Olsenから彼等の“Frozen Love”を聞かされて、Linseyを誘ったところ、Stevieと一緒ならOKということで、参加が決まったそうだ。それまでの8年間に8回もメンバー・チェンジを繰り返したFleetwood Macが、その後12年も続く最強の布陣となった。

Fleetwood Macも、Buckingham Nicksに倣ったのか、やはりグループ名だけのアルバム(邦題=ファンタスティック・マック)を発表した。これがBillboardのアルバム・チャートで一位に輝くまで55週掛かったが、それまでの苦労がようやく報われた瞬間だったに違いない。本作のおかげで、無名のプロデューサーだったOlsenも、ForeignerからGrateful Deadまで、名だたるアーティストを手掛けて、グラミー賞まで手にすることとなった。

Mick Fleetwoodは、Warner Bros. Records傘下のRepriseレーベルからも見放されそうになっていたバンドを、是が非でも続けたかったようだ。だから、過去に固執しなかっただけでなく、Buckingham Nicksの音楽性を丸ごと受け入れた。そのためには、彼等二人をよく知るOlsenをプロデューサーに迎えたのは、当然の判断だろう。

Rumoursただ、SunHero的には、ひとつ残念な事がある。急に売れてしまったために、ツアーやレコーディングに忙殺されて、Stevieの歌声からクリスタルな透明感が失われてしまった事だ。第二弾シングル“Dreams”がアメリカでリリースされた頃、ようやく日本でも「噂」のアルバムが発売になった(当時はCarpentersでさえ、新作の日本発売はアメリカより1~2ヶ月遅れだった)が、Stevieの歌声にはドスの効いた濁声が顕在化していた。

「噂」の初来日公演で、レコード以上に高音が出ていないStevieの歌声には悲しくなったが、その後低音域の凄味は増すばかり。それが彼女のボーカル・スタイルだと納得できるようになったのは、初ソロ・アルバム「麗しのベラドンナ」を聞いた時だ。だが、今回の再発盤のライブ録音曲の合間のStevieのトークを聞いて、まだまだ愛らしかった頃の声に、しみじみと四十年の歳月を感じてしまった。

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