
逆に、彼の地で映画祭の審査員を務めた際、セレブ女優も霞んでしまいそうな衣装で登場して、なぜか日本で叩かれる始末。欧米流のマナーを知らないマスコミが、馬鹿丸出しで報道したに過ぎない。それを真に受ける無知な読書の多いこと。そんな国民性だからか、純和風な映画を撮るのにも、フランスやドイツのスタッフの方が頼りになると言うことなのだろうか?日仏独の合作には、そんな事情があるような気がする。
海外で未だに高い評価を受けている小津安二郎監督とは、似て非なる映像の感触は、撮影技術の進歩や生活習慣の変化など、時間の経過がもたらした結果だけではない。庶民生活の日常を丹念に切り取っているようだが、若干せっかちな印象だ。四季の風景を巧みに取り入れて、季節感とか時間の経過を観客に暗示しているつもりなんだろうが、芝居の部分と溶け合っているようには見えなかった。
そうは言っても、四季を利用して、物語の起承転結を区切ってみせる手法は面白かった。だが、それが弱点だったかもしれない。四季の風景が映し出されている間にも、物語は当然進展する。観客は風景映像を見ながら、次の展開をあれこれ想像したり、単に期待したりする。それが外れた時、SunHeroは冷めてしまった。
河瀬監督が描きたかったことは、未だにハンセン病患者というだけで蔑視されてしまう実情だろう。とにかく、日本は昔から何か問題があれば、すぐ隔離だ。それも子供のうちから、そういう風習に慣らされてしまう。知恵遅れとか身体的ハンディとかで、養護学校送りになったのでは、口先だけのバリアフリーになってしまうのも当然だ。核家族化が進み、年老いた親を施設に入れてしまうのも、その延長じゃないだろうか?
素人を起用することに慣れている河瀬監督だからこそ、樹木希林は海外留学中の自分の孫を推薦し、わざわざ一時帰国させたのだろう。だが、彼女の育ちの良さが裏目に出てしまった感じだ。「朱雀」の時の尾野真千子が、演技と言うよりは、日常生活を普段通り見せたからこそ、田舎暮らしを瑞々しく魅せてくれたんだと思う。
どら焼き屋の千太郎(永瀬正敏)をからかう女子中学生(?)達の方が、イマドキ感があって違和感がなかった。あの中から、もしくは、あの子達を選んだオーディションで、「ワカナ」役を選んだ方が良かったんじゃないかと思った。ただ、樹木希林の健康を考えると、将来このキャスティングに別の意義が加わることになるのかもしれない。
キャスティングと言えば、浅田美代子が演じたどら焼き屋の大家は、世俗的な一般人の代表(典型)だ。噂や誤った常識を真に受けて、悪気は無いのだろうけど失言連発で、実に嫌味なオバハンを好演していた。映画の中で嫌われ役を一手に引き受けていて、こんなに存在感のある女優だったっけ?と、今頃気付いた。
とにかく、永瀬正敏すらも影が薄くなるほどだったから、樹木希林と市原悦子の前では、どんな子役を選んでも素人にしか見えなかっただろう。この2人の演技スタイルは、どんな役でも揺るぎない存在感を発揮して、もはや演技と日常の振る舞いの境界が曖昧な域に到達している。共演シーンは期待したほど多くなかったが、この2人の出演を実現させたこと自体が、本作の見所であり、河瀬監督の凄さだと思った。
映画を見終えて、洋画史好きのSunHeroが珍しく餡子を食べたくなった。どら焼きは好きじゃないので、餡子入りクロワッサンを珈琲で頂いた。餡子って、餡外(=案外)珈琲に合うんですね。
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