
最近でこそ、チラッと別の怪獣と戦う場面を見せるスポットCMになったが、そうとは知らずに見に行ったSunHeroは、謎の崩壊事故が起きた原子力発電所の跡地から姿を現したのが、「武藤」さん(核爆)だったので、思わず「ダチョウ倶楽部」になってしまった。ただでさえ、1998年版と紛らわしいタイトルなんだから、初めから「ゴジラvs武藤」とかってタイトルにしておいて欲しかった。
MUTO(「ムートー」と発音するのが正しいらしい)が、初代ゴジラに代わって、人類を存亡の危機に晒す脅威の象徴として登場し、ゴジラはむしろ地球の守護神とでも言うべき存在として描かれていた。その辺の事情が理解できれば、あんなイカサマCMで植え付けられた先入観も、簡単に払拭できるはずだ。
とにかく、MUTOというカマキリを思わせる昆虫型の怪獣は核燃料がエサで、そういう意味では21世紀の地上は至る所にエサがある楽園だ。そうなると、人類の次に地上を席巻するのは、「猿」ではなくて「MUTO」ということになる。
そんなMUTOの栄華も、人類の遺産である原発や核兵器、果ては核廃棄物まで食べ尽くしてしまえば終わってしまうと、容易に推測できる。映画の公開順の通り、「猿」の時代がやって来るのは、その後ということになるのだろう。
さて、MUTOの最強にして唯一の武器は、身体全体から発する衝撃波のような電磁波だ。あらゆる電子機器を一瞬にして不能にしてしまう。都市機能は麻痺し、最新鋭の戦闘機も爆弾を積んだ鉄クズとなって墜落する。文明の利器が通用しないのなら、人力で戦うしかない。
最終的にはゴジラが雌雄つがいのMUTOを退治してくれる訳だが、人類だって手を拱いて見ている訳ではない。雌のMUTOに略奪された核弾頭を巣から奪回し、卵もろとも巣を焼き払っている。努力は認めるが、そもそも核物質がエサという相手を、核爆弾でやっつけようとする発想は無粋だ。
もちろん、産業革命以降、加速度的に進歩発展してきた文明社会の脆さや、過去の教訓を生かせない人間の浅はかさを、そうやって描いて見せるのが本作の狙いだろう。根底では、60年前の「ゴジラ」の意図を汲んだ作品になっていると言えよう。
しかも、最新の特撮技術を用いながらも、どこか東宝怪獣映画を彷彿とさせる怪獣同士の戦い振りは、今までのアメリカ映画には見られなかった演出だ。これこそが、SunHeroが子供の頃に夢中になって見た怪獣の戦い方だ。
1998年版が失敗したのは、あの巨体が時速500kmとかで移動するという基本設定にあった。その結果、これがゴジラ?と誰もが首を傾げる容姿になってしまった。今回のゴジラは、女性の小顔ブームに迎合した訳ではないと思うが、頭部がちょっと小さ過ぎるんじゃないかと感じた以外は、背ビレや尻尾など原点回帰したという印象だ。
還暦を迎えたゴジラが、こうしてハリウッド・リメイクでも懐かしい雄姿に軌道修正されたのは嬉しかった。だが、後続では、ラドンやキングギドラまで復活するらしい。地上に降り立ったら、むやみやたらに首を振って光線を吐くだけで、テコでも動かないキングギドラが、アメリカの都市を縦横無尽に動き回って、街を破壊しようものなら・・・・そんな姿も見てみたいかも?
ところで、核物質をエサとする怪獣なら、一足先に公開された日本映画にも登場していましたね。壇蜜主演の「地球防衛未亡人」です。ベムラスという怪獣は、核廃棄物をエサとして、どんどん巨大化していく。宇部首相や石倉元都知事、果てはオズマ大統領までが、核廃棄物処理の切り札として怪獣を持てはやすも、超巨大化したベムラスの扱いに苦慮する破目に・・・・痛烈な社会批判を織り交ぜながらも、壇蜜のエロと物真似芸人たちによるスベリ捲りのパロディによって、見事なB級映画ぶりでした。
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