レッド・ツェッペリン:ビカミング[Becoming Led Zeppelin](2025 UK・USA)

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ケッタイな邦題だとは思ったが、原題のままではインパクトが弱い。題名の是非はともかく、Led Zeppelin の4人の生い立ちから、バンドの結成・絶大な人気を博すまでを追ったドキュメンタリー映画だ。

丸々一曲聴かせるライブ・シーンが次々に登場する後半は、終始熱狂し続ける観客の歓声に、観ているコチラも思わず体が動いてしまう。だが、SunHeroが興味深く見入ったのは、前半で描かれていた1960年代のイギリスの音楽シーンの裏側で、人生を模索していた4人の姿だった。

Jimmy Page がどんなアーティストのどんな曲のレコーディングに参加していたかは、割とよく知られている。まさか、女性歌手で女優の Lulu がアメリカでNo.1を記録した「いつも心に太陽を」(To Sir, with Love)には、John Paul Jones も参加していたとは、知らなんだ。

というか、60~70代に英国の音楽界でヒット・メーカーとして手腕を振るったプロデューサー=Mickey Most は二人を重用していたから、こうした裏方での共演はまだまだ沢山あるのだろう。

ここで少々、Mickey Most について・・・・(映画ではどんな人物か全く説明がないからね)

彼は、感受性の強かった10代の頃、英国で流行っていたスキッフルや初期のロックンロールの影響を受けて、英国の有名なバーでウェイター兼シンガーとしてアルバイトを始めたそうだ。そこで出会ったのが、後のビジネス・パートナー= Peter Grant だった。

やがて、The Most Brothers というデュオを結成して、Decca からシングル・ヒットを出したり、妻と南アフリカへ渡って、Mickie Most and His Playboys を結成して、彼の地でシングル・ヒットを連発したそうだ。

そんな彼がプロデュース業に転向するキッカケを作ったのが、後にThe Moody Blues の最初のプロデューサーとして、"Go Now" を全英1位に送り込んだ Alex Wharton だそうだ。彼も、件のバーで知り合った一人だった。

60年代に入って、英国へ戻ると、まず The Animals を見い出し、セカンド・シングル「朝日のあたる家」が1964年に世界的なヒットになった。その後、Herman's Hermits、英国でも人気のあった米歌手 Brenda Lee、Donovan、Lulu、Yardbirdsを辞めたばかりの Jeff Beck 及び Jeff Beck Group をプロデュースした。

Yardbirds は、ビジネス・パートナーの Peter Grant がマネージャーだった。Page は、Jeff Beck が辞めた後、Most のプロダクションへバンドを移籍させた。だが、Most の元では、ヒット作は生まれなかった。

Most は Grant と共同でプロダクションを設立し、発展的に1969年、RAKレコード及びPAK音楽出版を始めた。70年代になると、 Suzi Quatro、Hot Chocolate、Smokie、Kim Wilde 等を売り出した。



Grant が Most の若い頃からの知り合いで、ビジネス・パートナーだったことは知らなかった。そして、彼が尽力して、Led Zeppelin はアメリカのレコード会社=Atlantic Records と契約し、既に完成していたファースト・アルバムは発売に漕ぎ着けた。

当時の写真には、Page、Grant と共に、Jerry Wexler が写っていた。Billboard 紙の音楽ライターから、Atlantic のハウス・プロデューサーに転身し、Ray Charles や Aretha Franklin をはじめ、多くの黒人シンガーを世に送り出した。フリーランスのプロデューサーになってからは、Bob Dylan や George Michael のプロデュースを手掛けている。

バンドは最初のアメリカ・ツアーで熱狂的な人気を獲得したが、母国での反応はイマイチだったとか、シングル発売を頑なに拒んでいたとか、今回初めて知った。おかげで、事前に知っていた情報が、ようやく色々と噛み合った。

なるほど、それで Led Zeppelin は、英国より先に米国でレコード・デビューを果たしたのかぁ~!

それから、“Led Zeppelin Ⅱ” のレコーディング場面で、Page の隣で作業の様子を見守っていたのが、若き日の Eddie Kramer だ。南アフリカ出身の彼は、渡英してから趣味が高じてレコーディング・エンジニアになった。渡米後は “Frampton Comes Alive” の大ヒットに関わり、やがて KISS のプロデューサーとなった人だ。いやあ~、驚いた!

おっと、感慨に耽っている場合ではなかった。終映後、外に出ると、一日の営業を終えたららぽーとが、息を潜めて佇んでいた。モノレールの駅の灯りが、煌々と輝いていた。急がないと、終モノレールに乗り損ねる!

最寄り駅に着いた時点で、既に日付は変わっていた。タクシーは一台もいなかった。夜風に吹かれながら、家まで歩くことにした。府中で超早めの夕食を取ったせいで、途中のファミレスに吸い込まれるように入った。

この周辺で唯一深夜2時までやっているだけに、人の気配の全く無い暗い街頭とは対照的に、明るい店内は盛況だった。受付ロボットに指示されるままに、29番テーブルに着いた。

深夜にファミレスで食事なんて、一体、何十年振りだろう?午前0時を過ぎても営業しているファミレス、昔はそこら中にあった。懐かしい感覚に包まれていると、配膳ロボットが音楽を奏でながらやって来た。

くつろぎすぎて、店に一時間以上、居座ってしまった。テーブルに置かれていた注文端末から、オーダーストップの音声案内が流れてきた。我に返ってレジへ向かえば、途中の通路から他の客も現れて、レジはちょっとした渋滞になった。

再び夜風に吹かれながら、家路を急いだ。雨に降られずに済んで良かった。(^_^)


[[あとがき]]
それにしてもさぁ~、年齢に関係なく一律2,300円てぇ~のはイタダケナイねぇ~。これがIMAX版だと、600円増しだ。そのくせ、50年以上も前の映像を使ってるから、IMAXとは思えない画質の悪さ。音響がメチャクチャ良い分、チグハグな印象は拭えない。まあ~、それでも一度は体験した方がイイかもな!半世紀前に物凄いロック・バンドが存在したことを、21世紀になっても忘れちゃいかんぜよ。

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この記事へのコメント

  • SunHero

    Dogwoodさん、お待ちしてました。早速コメントありがとうございます。

    >遅くまでビカミングお疲れ様でした!

    何となく分かりそうで、やっぱり何が仰りたいのか?すまへん、分かりません(汗)

    >確かにけったいな邦題。いっそのこと「胸いっぱいの愛を」にすれば良かったって?

    それじゃ、どんな映画か、全くアルミ察しが付かないんじゃないでしょうか?

    >プロデューサーやレコーディングエンジニアまでカバーするとは守備範囲広すぎませんか?

    洋楽では、Grand Funk (Railroad) の例を出すまでもなく、プロデューサーが変わっただけで、サウンドがガラリと変わってしまう。そして、Alan Parsons や Eddie Klamer、Keith Olsson etc. 多くのプロデューサーはエンジニア上がりです。当時はそこまで意識していませんでしたが、だんだんプロデューサーの名前を聞いただけで、どんなサウンドか想像できてしまうようになりました。

    Dogwoodさんも、何か音楽を聴いていて、このギターは○○○みたいだなと思ったら、正に当人が弾いていたとかありませんか?GFRの「ロコモーション」の間奏のギター、Mark Farner ぽくないなと思っていたら、やっぱり Todd が弾いていたとか。プロデューサーやエンジニアも”所詮は同じ事”です😏

    この映画を観れば、業界の裏方人脈なしには、世界のロック・バンドの頂点に立てなかったことが分かります。音だけ聞いていても分からない業界のマジックのようなものが描かれています。
    2025年10月11日 23:06
  • Dogwood

    遅くまでビカミングお疲れ様でした!確かにけったいな邦題。いっそのこと「胸いっぱいの愛を」にすれば良かったって?しかしMickey Most にEddie Kramer、、プロデューサーやレコーディングエンジニアまでカバーするとは守備範囲広すぎませんか?誰と誰が知り合いでとか、趣味が高じてエンジニアになったとかの情報量がスゴい!(映画を見ればわかるのかな)いずれにせよ驚き桃の木です。
    2025年10月11日 22:33

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