
死ぬまでに一度は観たいコンサート、そのひとつが竹内まりやのライブだ。旦那様の山下達郎と同様、チケットがなかなか取れない上、近年は入場時に本人確認をするようになって、ちょっと厄介だ。それでも、抽選販売に応募しては、毎回、落選通知が来るのがオチだった。本人確認以前の段階で足切りだ。
今回のツアーも、日本武道館と横浜アリーナ、各々2daysという、かつて無い高確率にも拘わらず、先行も一般も落選し続けた。当然と言えば当然というか、予想通りの希望者殺到。2021年に7年振りのツアーが発表されたが、まだまだコロナ禍の真っ只中。グッズまで作っちゃったのに、全公演中止になったせいだ。
仕切り直して11年振りのツアーが発表されれば、4年前のリベンジに燃えるファンが、片っ端からチケットを申し込むのも無理はない。主催者側もできるだけ多くの人に見てもらいたいという思いだったのか、1万人クラスの武道館&横アリ✖2daysに加えて、ツアー・ファイナルにはキャパ2万人のKアリーナ横浜 2daysまで日程が組まれた。

達郎は72歳、まりやさんは70歳。そろそろ次はあるのか?そこに愛はあるんか?ファンの間にだって、不安が過るだろう。現に昨年の達郎のツアーでは、ノドの調子が悪いという理由で、中止・延期となったものが幾つかあったとか?
絶望的(大袈裟?)な気持ちのまま、公演までひと月を切ったら、「キャンセル待ち受付」・「制作席解放(開放が正しいと思うんだけどネ)受付」の二段階で、チケットが追加販売された。武道館は全滅だったが、ナント横浜アリーナが当たった!
当選通知が届いた日は、ちょうどアン・サリーのライブで、終演後スタバでメールをチェックをした際、いつもの癖で「当選」という文字を見たのに、受信トレイから削除してしまった。すっかり落選続きに慣れてしまって、開封前から諦めムードだったのが、ケアレス・ミスの原因だ。

帰宅後、例の「制作席解放受付」のメールを見て、翌日また抽選販売に申し込んでしまった。その際、恐る恐る申込履歴を確認したら、「キャンセル待ち」で既に当選してるじゃないか!当選したことすら忘れてしまうとは、つくづく老いぼれたものだ。慌てて「制作席解放」の方を確認したら、まだキャンセル可能だった。
公演日が近いため、どちらで申し込んでも、チケットはスマチケ(=スマホ・チケット?)のみだった。つまり、コンビニで紙発券はできない。

イープラスのスマホ・アプリにダウンロード可能になったのは、公演2日前だった。座席番号を確認したら、アリーナ席の一列目だった。ちょっと素直には喜べなかった。このアリーナ席というのが、実はとんでもない曲者だからだ。
横浜アリーナの場合、他会場でいうアリーナ(一階フロア)に当たる部分は「センター」と呼ばれ、(可動式の)二階スタンド席が「アリーナ」だからだ。本来のアリーナをセンターと呼ぶなら、横浜アリーナは横浜センターだろ!?と、文句のひとつやふたつ、言いたいところだ!

実際、SunHeroの席は、Fブロックの最前列で、目の前の柵の向こうには、センター席が広がっていた。つまり、アリーナ最前列は、柵ひとつ隔てただけで、センター席と地続きの同じフロアーだ。
しかも、座席にキチンと着席すると、視界に入るのは中・後方の客席ばかり。ステージは90度真横になる。キャンセルしたくなる気持ちも分かる。おかげで、SunHeroの念願は叶った訳だけど・・・・

柵の差で料金に差が付くのなら、どうにか納得できるが・・・・横浜アリーナの幾何学的な座席配置とステージの位置関係には、設計者の思慮不足しか感じられない。ホント腹が立つ (`ヘ´) プンプン。
開場は17:00、開演は18:30、開場前のグッズ販売は16:30まで。分かっていたのに、新横浜駅に着いたのが16:00過ぎ。会場まで約10分だから、並んだところで、順番が来る前に切られてしまいそうだ。開き直って、駅併設の飲食店街で腹ごしらえしてから、会場へ向かった。
会場が近づくに連れて、遊歩道や沿道は混んできた。だが、東急と相鉄が相互乗り入れする新駅(新横浜駅)ができたおかげか、環状2号を跨ぐ遊歩道は、横アリ開館当時の混雑は解消された。とは言え、SunHeroも含めて、皆、歩く速度が遅い。
それもそのはず、MCでまりやさんが説明したように、観客の7割が50~60代だったらしい。それでも、10代が4人、20代が19人とか、本人確認のために収集した情報の賜だ。超高齢少子化社会の縮図を目の当たりにした思いがした。
主要世代はコンサート・グッズの上得意様だ。購入するには、入場後一旦2階へ上がり、列の最後部に並ぶ。それがどのくらいの長さなのか、混雑していて分からなかった。一時間も並ぶようなら、送料900円で通販で買おうと、キッパリ諦めた。
アリーナは2階から入るため、人ゴミ(?)を掻き分けて、上のフロアーへ。アリーナ席の外周を巡る回廊は、トイレやフード・スタンドのある四隅付近以外は、まあまあ歩きやすかった。どの方向の壁だか分からなかったが、開館以来のイベントが開催日順に掲載されていた。
大半はコンサートだったが、演劇やスポーツイベント、横浜市の成人式などが見受けられた。こけら落しのユーミンも、2日目のショーを観に行ったなぁ~。センター席をジオラマのような舞台にした「スターライト・エクスプレス」、新幹線役は川崎麻世だったっけな。
このイベントの記録は、開館20周年の時に初めて掲示されたが、それがミャクミャクと継承されている拘りが嬉しい。SunHeroは10年振りで訪れたが、その間に2回改修工事が行なわれたそうだ。ぱっと見は変わり映えしないが、それが改修の成果なのかもしれない。
座席のクッションは汚れたり・破れたりしていなかったし、通路床にも列や席番が表示されていた。いちいち背もたれの座席番号を覗き込まなくても、自分の席を見つけやすいよう配慮されたいた。他の会場がここまで親切では無いため、床を見ずに席を探す人が多かったのは・・・・

開演が近づいて、場内アナウンスが流れ、しばらくして場内が暗転した。18時35分頃だったろうか?開演を告げるBGMと共に、バンドのメンバーが次々に登場し、最後にまりやさんが現れると、一段と大きな拍手と歓声が沸き起こった。
1曲目のイントロだけで、再び拍手が起こり、SunHeroの背筋はゾクゾクした。続けて、達郎が2曲目のイントロを弾いた。全身が身震いするような感動を覚えた。冒頭の2曲だけでノックアウトだ!!・・・・という訳で、セットリストは以下の通りでした。
Daiwa Securities Group presents & air weave supports:
souvenir
2025 mariya takeuchi live
@Yokohama Arena, June 4, 2025
souvenir
@Yokohama Arena, June 4, 2025
- アンフィシアターの夜 from “VARIETY” 1984
- 家に帰ろう ~マイ・スイート・ホーム~ from “QUIET LIFE” 1992
- マージービートで唄わせて from “VARIETY” 1984
- FOREVER FRIENDS from “QUIET LIFE” 1992
- 歌を贈ろう single prior to “Precious Days” 2024
- 五線紙 from “LOVE SONGS” 1980
- リンダ from “PORTRAIT” 1981
- ブルー・ホライズン from “UNIVERSITY STREET” 1979
- 象牙海岸 from “LOVE SONGS” 1980
- 元気を出して from “REQUEST” 1987
- 告白 from “QUIET LIFE” 1992
- 静かな伝説 (レジェンド) from “TRAD” 2014
- カムフラージュ from “BON APPETIT!” 2001
- 幸せのものさし single prior to “EXPRESSIONS” 2008
- J-BOY from “UNIVERSITY STREET” 1979
- プラスティック・ラヴ from “VARIETY” 1984
- 人生の扉 from “DENIM” 2007
- 駅 from “REQUEST” 1987
♪♪ ENCORE ♪♪ - All I Have To Do Is Dream from “Precious Days” 2024
- September from “LOVE SONGS” 1980
- 不思議なピーチパイ from “LOVE SONGS” 1980
- いのちの歌 from “TRAD” 2014
The color of the songs above shows:
Green=RCA years, Orange=MOON years, Blue=WARNER years
今だから正直に言います。SunHeroは、RCA時代の竹内まりやさんが好きではなかった。米人講師が褒めていたほどの英語の発音の良さと、洋楽かぶれなアレンジャーによる先進的なJ-POP(当時はまだ「ニュー・ミュージック」と呼ばれてた)テイストが、とても耳障りでした。
今でこそ、「September」や「不思議なピーチパイ」辺りも、違和感なく楽しめるようになったが、あの頃のレパートリーで唯一好きだったのは、「ドリーム・オブ・ユー~レモンライムの青い風~」だけだった。それも、達郎がアレンジし直したアルバム・バージョンではなく、シングルの方だ。
ユーミンや大滝詠一等によって切り開かれたニュー・ミュージックは、1970年代が押し詰まった頃でも、まだまだ歌謡曲に洋楽テイストを取り入れた音楽という印象が強かった。頭ひとつ抜きん出た竹内まりやの音楽は、サディスティック・ミカ・バンドを初めて聞かされた時のような拒絶反応があった。
これがJ-POPへの進化の過程だったのは、専門家が後から振り返って分析した結果であって、SunHeroは先進性を「無理して突っ張ってみた音楽」としか思えなかったという訳だ。当時盛り上がっていたパンク・ムーブメントも、反社で乱暴で危険な考え方(思想)を持った連中の音楽だと決め付けて、敬遠していた程だ。
社会人になって(就職して)音楽生活どころでは無くなっていた期間に、日本の音楽は劇的進化を遂げていた。洋楽に追い付け・追い越せみたいな尖った音楽に溢れていた。SunHeroは、以前にも増して洋楽を聴き漁るようになった。
転機のひとつが、勤務先でよく流れていた「プラスティック・ラブ」。まさか竹内まりやだとは思わず、かと言って、角松敏生が手掛けた杏里みたいなダンサブルな曲だけど、歌声の主はなかなか分からなかった。
初めて転職した職場で良く掛かっていたのが、杏里の「HAPPY ENDでふられたい」。職場のBGM的にFMラジオを垂れ流していたので、誰の何と言う曲かは分かっていた。だが、杏里にしては、「不思議なピーチパイ」みたいな曲調だなと思った。参考までに、谷村有美を知ったのも、職場のラジオだった。
まりやさんの音楽に対する認識が大きく変わった決定打が、「リクエスト」だった。RCA時代とは打って変わって、全体に落ち着いた印象があって、無理して洋楽テイストを表現しようとしていた頃とは大違いだった。
ところが、まりやさん、ちっともコンサートを開かない。テレビの歌番組にも出演しない。ようやく日本武道館でライブを行なっても、どうやってチケットを取るのか分からなかった。これが、「死ぬまでに一度は観たいコンサート」の候補入りとなった。
俄予習でRCA時代のアルバムを聴いておいて良かった。しかも、ちょっと渋い選曲もあって、感動も一入だった。逆にMOON時代のレパートリーとなると、中山美穂さんに提供した「色・ホワイトブレンド」をなぜやらない!等など、欲を言ったら切りが無い程、物足りなかった。
だが、それを補って有り余る程すばらしかったのが、ステージ・セットや照明などの演出だった。特に、ステージ上部に設置された円形の液晶パネルや背後に映し出された映像は、キメが細かくて鮮やかでだった。
セットも舞台両サイドのE・Fブロックの客席に入り込む程長く、文字通り至近距離でまりやさんを拝見することができた。まりやさんと言えば、舞台袖へ下がることなく、何度か暗転中に早着替えをしてみせて、前後でガラリと変わる衣装はどれも素敵だった。
終盤でまりやさんの姿が見えなくなるほど沢山打ち出されたラメのテープ(リボン?)にも圧倒された。SunHeroの頭や肩、膝の上にも何本も降ってきた。次の曲では、テープを巻きとるのに夢中になって、ステージをほとんど観なかった。
テープの銀色の面には、"souvenir 2025 mariya takeuchi live" と印刷されていた。終演後にそれを拾いに来る客が結構いた。他のコンサートでもテープ・シャワーを経験したが、自分の上に降ってきたのは今回が初めて。こんなにテンションが上がるんだと、舞い上がってしまった。
夢見心地というのは、こういうことを言うのだろうか?アンフィシアターの夜ならぬ横浜アリーナの夜は、なかなか寝付けないまま更けていった。
[[ 6/28追記 ]]
プロが書いた同じ日のコンサート・レポートを見つけました。ここで触れていないことばかりが、詳しく紹介されています。
音楽ナタリー(6/26)=竹内まりや、11年ぶりの全国ツアー閉幕

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