[R.I.P.] Great Old Musicians Passed Away One After Another

ロックの時代を築いたミュージシャンや業界人が、また相次いで亡くなった。本当は個々に追悼したかったが、SunHeroに縁のある故人をまとめて、弔辞を述べることにした。詳しい経歴は、名前で検索していただければ、Rock Era にどれほど貢献したか、お分りいただけると思います。

Toni Stern(1944年11月4日ー2024年1月17日、79歳)
Carole King の最初の夫=Gerry Goffinがスランプに陥った1960年代末、新たな作詞パートナーとなったのが、Toni Stern という詩人だった。Carole は彼女の詩に、歌詞のような音楽的脈絡を感じたそうだ。
最初の共作曲は、1969年に The City 名義で発表された唯一のアルバム “Now That Everything's Been Said” に収録された。表題曲もその一曲だ。その後、1972年発表の “Rhymes And Reasons” まで、6作品で作詞を手掛けている。
最も有名な曲は、"It's Too Late" だろう。次が Carpenters でシングル・ヒットした ”It's Going To Take Some Time (This Time)” あたりか?ライブでわざと歌詞を変えて、観客の笑いを誘う "Sweet Seasons" も好きだ。
どうやら、彼女が音楽業界と関わりを持ったのは、この期間だけだったらしい。詩集を発表しても話題にのぼらず、訃報に際しても Carole が哀悼の言葉を投稿した程度のようだ。




Dicky Betts(1943年12月12日ー2024年4月18日、80歳)
The Allman Brothers Band のギタリストで、Duane Allman の死後は実質的なリーダー。Duane の弟 Gregg とは、しばしば音楽的に対立したため、解散と再結成を繰り返した。そのため、ソロや自身のバンド=Dicky Betts Band や Dicky Betts & Great Southern を率いて活躍した。サザン・ロック・ギター・レジェンドと評する人もいるが、その音楽性はサザン・ロックに留まらない。死因は癌と慢性閉塞性肺疾患だった。
The Allman Brothers Band をハード・ロック・バンドだと勘違いしていたSunHeroは、FEN(米軍のラジオ放送)でよく掛かっていた ”Ramblin' Man”(1973年最高位1位)が彼らの曲だと知って、大いに驚いた。Eagles よりもカントリー寄りな曲調には、サザン・ロックの雄という印象も受けなかった。勘違いの原因は、Duane が Derek and the Dominos に客演していたためと思う。
今みたいに、気になったアーティストや曲がストリーミングで簡単に聴ける時代では無かったから、高校生の頃に友人から借りたLPレコードを聴いて、サザン・ロックってカントリー・ロックと何が違うのか、余計に分からなくなった(苦笑)。だって、Lynyrd Skynyrd や ZZ Top が、レパートリーの中で割とハードな楽曲も演っていたからだ。




Larry Page(1938年11月9日ー2024年4月19日、87歳)
10歳で歌手デビューし、Cliff Richard等と一緒に英国内をツアーしていたが、1960年代には The Kinks や The Troggs のマネージャー/プロデューサーとして頭角を現し、自らレコード会社を設立して、彼らのレコードを発売した。近年も大リーグやTV-CMでお馴染みの ”Wild Thing” は、アメリカでも大ヒットした後者のレパートリーだ。
彼らの成功を元手に、自らもELO登場以前にポップなロック・オーケストラ= Larry Page Orchestra を1967年に結成し、1970年代末まで活動した。ファースト・アルバムには、当時無名のセッション・ギタリストだった Jimmy Page が参加していたそうだ。1990年後半に一時的に再結成され、アルバム2枚を発表したが、長続きはしなかった。
日本で馴染みのあることと言えば。1972年に Daniel Boone で世界的なヒットになった ”Beautiful Sunday” も、彼が手掛けていたことだろう。日本では、朝の情報番組のテーマ曲に起用されて、遅ればせのヒットとなった。その勢いを借りて、1976年に田中星児の日本語カバーもヒットした。
因みに、Google の創業者の一人=Larry Page とは別人です。




Mike Pinder(1941年12月27日ー2024年4月24日、82歳)
The Moody Blues の最後の生き残り創設メンバーで、キーボード奏者だった。Justin Hayward と John Lodge が加入後、叙情的なプログレッシブ・ロックを奏でるバンドとして、音楽性を大きく変えた。その大きな要因が、メロトロンの導入だった。1967年から1972年に7枚のコンセプト・アルバムを発表。その後、およそ5年間に渡って、メンバーが相次いでソロ・アルバムを発表した後、1978年に再結集し、8作目 “OCTAVE” を発表。彼はメロトロンと決別し、シンセサイザーを駆使するようになった。
このアルバム完成後、メンバーとしてレコーディングには参加したいが、ツアーには同行したくないと、ゴネ始めた。虫のいい話だと、他のメンバーに却下され、解雇された。後任には急遽、YESでの活動で注目を集めた Patrick Moraz を起用した。
Denny Laine、Clint Warwick、Ray Thomas、Graeme Edge、そして、Mike Pinderがこの世を去り、Moodies は途中参加の Hayward と Lodge の “Blue Jays” コンビだけになってしまった。




Richard Tandy(1948年3月28日ー2024年5月1日、76歳)
Electric Light Orchestra(以下、ELO)の前進=The Move に助っ人キーボーディストとして参加し、イギリスでのヒット曲 "Blackberry Way" 等で演奏。ELO 結成時にはベースを担当。Roy Wood 脱退後は、Jeff Lynn の右腕として、ラスト・アルバム “Balance Of Power”(1986)まで、極彩色の音色で宇宙的なオーケストラ・サウンドに貢献した。
イコライザーやボコーダーを使っていたボーカル・パートも、実は彼が担当していたそうだ。ELO 以降も、Jeff Lynn プロデュース作品の多くに参加した。訃報は Jeff Lynn が報じた。死因は明らかにされていない。




John Barbata(1945年4月1日ー2024年5月8日、79歳)
10代の頃からセッション・ドラマーとして活躍。最初に結成したバンドは Sentials と名乗り、2枚のアルバムを発表。そして、Turtles に参加して、全米No.1ヒット "Happy Together" を放つ。LAシーンで有名になったことで、CSNY に二代目ドラマーとして抜擢。更にメンバー各自のアルバムでも重宝された。
その合間に、Joel Scott Hill (Guitar, Vocal - Flying Burrito Brothers)、Chris Etheridge (Bass, Vocal - International Submarine Band, Flying Burrito Brothers)と、趣味的に Jerome というバンドを結成。Electra Records にハウス・エンジニアとして採用され、Paul Butterfield Blues Band を世に送り出し、Doors や CSN、John Sebastian、Joni Mitchell 等を見出した Paul A. Rothchild が、プロデュースを買って出た。それがスワンプ・ロックの名盤として、今も再発が繰り返されているアルバム=“L. A. Getaway”(1971)だ。
CSNY が長い活動休止に入ると、David Geffin から Eagles への参加を打診されたが、David Crosby の勧めで空中分解寸前の Jeffson Airplane に加入。Jefferson Starship に改造後も活動を共にしていたが、1978年に自動車事故で重傷を負い、治療・リハビリのため第一線から退いた。
以降は、自宅兼用のスタジオを建て、後進の発掘に勤しむ一方で、15歳下の女性と結婚し、一女を授かった。妻と娘とそれぞれ一枚ずつ共演アルバムを発表したが、地元周辺でのセールスに留まったらしい。2016年には、34年連れ添ったという妻を癌で失った。
それでも、音楽活動は継続し、かつてのバンド・メンバーと懐メロ・バンドを結成してツアーを行ったり、シンガー=ソングライターになった娘のバンマス(?)を務めた。娘さんが父親のSNSで訃報を伝えたが、死因は明らかにされていない。




David Sanborn(1945年7月30日ー2024年5月12日、78歳)
6個のグラミーを獲得した、言わずと知れたジャズ界のアルト・サックス・プレイヤーだ。ロック、ソウル、ポップス界でも引く手あまたのセッション・プレイヤーだった。Brecker Brothers に参加して頭角を現し、1975年にソロ・デビュー。
個人的に印象深いのは、Todd Rundgren の “Something/Anything?”(1972)の終盤1/4を占めるロック・オペレッタに、ブレッカー兄弟等と共にクレジットされていること。「泣きのサンボーン」と評されたが、黒人サックス・プレイヤーには無いクリアでストレートな響きが、ロックに良く合うということだろう。2018年から患っていた前立腺がんの合併症のため死去。



謹んでご冥福をお祈りします。

※ 5月25日 加筆・訂正

洋楽ランキング
洋楽ランキング

この記事へのコメント


この記事へのトラックバック
©Entertainment Weblodge SunHero
All rights reserved (except where noted)
エンターテインメントランキング
エンターテインメントランキング