村治佳織~CDデビュー30周年 ファン投票オールタイムベスト

杏里(現:ANRI)がデビューした1978年に生まれた少女は、物心が付く前からバイオリンを手に取っていたという。父親がバイオリン教室を営んでいたから、そんな英才教育を施したんだとか。疑うこと知らない少女は、当たり前のように練習に励み、中学生になると様々なコンテストで優勝するまでに成長した。

1993年、15歳、中学3年生で、初リサイタルを開き、同年CDデビューも果たした。すると、普段はハード・ロック(ヘヴィー・メタル)ばかり聞いているような連中が、彼女のCDを買い、リサイタルに足を運ぶようになった。彼女の超絶技巧は、ギター・キッズ達の羨望の的となったのだ。年齢的なこともあって、女子高生ギタリストとして世間の注目を集めるようになった。

SunHeroが村治佳織の音楽と出遭ったのも、そんな事だった。当時の勤務先の近くに明治大学があって、師弟食堂は都内の学食で常にTop10の人気を誇っていた。給料前になると、安くてガッツリ食べられるので、日大工学部の学食と交互に通ったものだった。

日大には無かったが、明大には生協があって、学食同様、一般人でも自由に出入りできた。大抵のものは10%引きで買えたので、仕事で使う事務用品や書籍まで、そこで買っていた。否、それを口実に、当時流行していたCalvin KleinのTシャツとか、Levi'sのデニムパンツ、そして、CDを買っていた。

特に、CDは年二回のセールがあって、店内在庫品はもちろん、この期間中に取り寄せ注文をすると、20%引きで買うことができた。CDと書籍は再販制度にまだ厳重に守られていた時代だったから、10%引きでも十分有難かったが、初回盤でもなければ、EXCELでリストを作っておいて、セールまで待って一気に注文した。

学生時代には友人のKTが通う大学に生協があったことから、セール前に手紙でリストを送り、KT名義の口座へ代金を入金して、LPレコードを買ってもらっていた。確か、通常15%引きで、セールだと25%引きだったと思う。流石に多すぎて、上限20枚だったか?制限を掛けられた・・・・なんてこともあった気がする。

あの頃は、LPレコードを大量に持ち歩く人なんて滅多にいなくて、今みたいに10枚くらい収納できるバッグなんて無かったから、百貨店の大きな手提げ袋で、家まで持って帰った。両手に10枚ずつくらいが、重すぎず、持ち手が外れたり、紙袋が破れたりせず、丁度良かった。

本当はもっと沢山のレコードを買いたかったが、KTの都合もあるし、実際に家まで電車を乗り継いで、無事に持って帰ろうとすると、あれが限界だった。だから、その名の通りかさばらないCDの登場で、堰を切ったように購入数は爆増した。

ただし、一足先に社会人になった時は、無理を言って40枚くらい頼んだことがある。全部は揃わなかったが、それでも30枚以上・・・・中には2枚組LPなんかもあった。始めから父親のクルマを借りて、KTの下宿先まで取りに行くつもりだった。

だから、明大生協でCDが安く買えると分かったら、今度は恩返し。SunHeroがKTの分も買って、彼の自宅や職場に届ける番だった。その時期になると、昼休みを使って、10数枚ずつ注文した。手書きで複写式の注文書への記入するのは手間だった。1枚と書いたつもりが、11枚も届いた時は、ついにやってしまったぁ~!とお手上げだった。

KTの注文リストには、いつも見慣れないアーティストの名があった。彼の聴く音楽は洋の東西南北もジャンルも超越していて、有名になる前の東儀秀樹やフェイ・ウォン(王菲)から、故テレサ・テンの中国語CDまで、実に多岐に渡っていた。

やっと、本題です😵 1997年12月初頭、年末CDセールの下見に生協へ寄った際、店内(?)にリリカルなギターの音色が響いていた。Now Playingの棚には、村治佳織の4作目「パストラル」がプラケースごと飾られていた。生協にしては異例のBGMだったが、前述の通り男子大学生をメインに需要があったから、発売間もない新作が流されていたというわけ。

CDで聞かれる流麗な演奏を生で聴いてみたくなるのは、ギター・キッズだけではない。ほんの2年間の辛抱だったが、この間何度チケット購入にトライしたことか。当時はまだ電話予約が主流だったから、やっと繋がったと思ったら、「予定枚数終了」の繰り返しだった。

ようやくチケットが取れたのは、1999年のことだった。会場は王子ホール・・・・といっても、北区にある訳ではない。晴海通りの1本北側=松屋通りに面した王子製紙本社ビル(銀座4丁目)内にある。

とても気品のあるホールで、開演前にはロビー等でスパークリングワインの試飲(無料提供?)があって、雰囲気に酔ってしまったのを今も覚えている。当時日本に上陸したてだったスペインのフレシネだった。翌年も訪れたら、軽食と飲み物が用意されていたが、いずれも有料だった。

ようやくチケットが取れるようになったのは、2005年頃のこと。ところが、毎週末ごとに日本のどこかで公演を行なっていたせいか、右手が思うように動かなくなったということで、まさかの延期!当初の発表では右手掌の腱鞘炎だったが、無理が祟って炎症が起きたもので、実際には掌の神経が過労で麻痺したものだった。

6年後にも再発するが、それよりもっと深刻だったのは、舌腫瘍だった。堀ちえみさんが罹患した舌癌とどう違うのか分からないが、手術後も普通に話すことができたという。とにかく、治療に専念するため、2年先まで決まっていたというスケジュールを白紙に戻し、完全休養となった。

その間、デビューから10年所属したビクターと、移籍後のユニバーサルから、様々なコンピレーション(〇〇ベストと言うヤツ)が発売された。CDはライブの予習程度にしか考えていなかったSunHeroは、自然と疎遠になってしまった。

SunHeroが思うに、村治佳織はビクター時代に多くのクラシック・ギター楽曲を発掘し、クラシック音楽はオーケストラ演奏やピアノ楽曲だけではないと、人々の認識を新たにした。ユニバーサル移籍後は、海外、特にヨーロッパ進出を目論んだもので、選曲の指向が 変わって 幅広くなっていった。

言い換えれば、純粋に演奏技巧の妙を楽しみたいならビクター時代、馴染みのある曲を巧みなアレンジで楽しみたいならユニバーサルがお勧め。もちろん、ユニバーサルからも合間に、敬愛するロドリーゴの作品集全曲バッハなんていうアルバムも発表している。

2009年の「ポートレイツ」が好評だったことから、ギターのためのクラシック楽曲の発掘から、ポップスや映画音楽のカバーへと大きくシフトした。休養明けの「ラプソディー・ジャパン」では、表題曲で和楽曲をギターで奏でている。日本人ならそらでも歌える曲だけに、ギターで弾いても新鮮味は薄い。むしろ、次作「シネマ」のタイトル通りの潔い選曲の方が、統一感があって聞きやすい。

そして、30周年はベスト・アルバムをリリースすることが明らかになった。いつの間にか、ファン投票が行なわれて、1位から順に14位まで+実弟・奏一くんとの共演で、新録2曲という内容だ。かなり長らく疎遠となっていたSunHeroが言うのも何だが、上位3曲はコレしか勝たん(?)という結果だった。

更に、久々のリサイタルが発表になった。会場は横須賀芸術劇場。最寄り駅は京急の汐入。鎌倉までは行ったことがあるが、その先となると自信が無い。(^^ゞ

せめてサイン入りポスターが付く「ベスト盤+Decca名盤UHQCD (廉価盤)」のセットでも買おうか?でも、ベスト盤単体でも、サイン入りチケットホルダーが付くそうだ。どっちも見本が載っていないので、選びようがない。

それより何より、汐入まで行くかどうか?=チケットが取れるかどうか?チケぴで探りを入れたら、S席は2階、A席は3階になるらしい。完全に出遅れた

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