そして、回数が分らないほど訪れたのが、コンサート・チケットの購入だ。チケットぴあ登場以前のエンタメ・チケットは、プレイガイドと呼ばれる金券ショップ規模の店で買うしかなかった。銀座・新宿・渋谷・池袋・上野と行った23区内の繁華街か、赤坂・青山界隈の招聘元の事務所へ出向く必要があった。
大人たちの無責任な知識に翻弄され、生まれて初めてのチケット買いでは、わざわざ銀座の山野楽器へ行った。開店10分くらい前に着いたら、既に100人くらいの行列ができて、順番が回ってきた時、お目当ての公演チケットは2階席しかなかった。
今にして思えば、2階席でも前の方だったら、ステージがよく見えただろう。1階席にこだわったため、店員に近くのプレイガイドを尋ねた。最寄りはSONYビルの1階だと言われて急行した。奇跡的に1階席が取れたが、当日会場に行って愕然とした。まさか、サンプラザ1階の最後列の左端だったとは。
そんな苦労は高校生になって解消された。中野サンプラザ(以下、親しみを込めて「サンプラ」、ガンプラじゃないよ!笑)内にもプレイガイドがあったのだ。更に、友人情報で吉祥寺のFFビルの一角に、穴場と言われたプレイガイドがあると知った。公演日が土日祝日は極力避けた。平日の方がチケットが取れる可能性が高かったからだ。
真面目な高校生だったから、放課後に学校からコンサート会場へ馳せ参じた。JR中央線の某駅から、サンプラなら中央快速線、武道館なら地下鉄東西線で、乗り換えナシだ。わざわざアメリカやイギリスから来てくれるというのに、行かない理由が見つからなかった。
一体どれだけの外タレの初来日公演を観に行っただろうか?
Todd Rundgren、10CC、Billy Joel、Genesis、Ambrosia、REO Speedwagon、Joe Jackson、Chris Rea・・・・(観に行った順)
そして、サンプラで初めて観た邦人アーティストが、1988年の杏里(ANRI)だった。それまでもそうだったけど、「武道館よりはサンプラザ」という思いがあった。理由は、①家から近い、②ステージが近い、③音響がいい。それだけだ。
さて、当時「冬のユーミン、夏の杏里」と言われたほど人気絶頂だったので、サンプラのチケットを取ったら、初めて二階席になった。高野寛も佐野元春も二階席だった。来日アーティストより競争相手が多いことを実感した。
初めて一階席で観ることができた邦人アーティストは、2003年の元ちとせだった。これ以降、サンプラでは邦人アーティストばかりになった。来日組は東京ドーム(1988年3月18日)とか、国立代々木競技場とか、横浜アリーナ(1989年4月1日....ホントだよ!杮落としのユーミン、行ったもん)とか、東京国際フォーラム(1997年1月10日)とか、大きな会場でやるようになったせいだ。
東京厚生年金会館 (新宿区)は 取り壊されて、今はヨドバシカメラの本社屋だ。渋谷公会堂(渋谷区)は、渋谷区役所跡地付近にLINE CUBE SHIBUYAとして生まれ変わった。次はサンプラの番だ。サンキュー、サンプラザ!
<<”Farewell Nakano Sunplaza”からつづく
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