ちなみに、渋谷のNHKホールは、1973年6月30日の開館だそうだ。当初は、NHKの番組絡み以外では、クラシックや演劇、日本の古典芸能ばかりやっていた印象が強い。SunHeroが初めて訪れたのは、開館から10年ほど後、1983年3月30日のBarry Manilow初来日公演だ。武道館の5,000円を蹴って、10,000円のNHKホールにした。
さて、サンプラザは隣接する中野区役所と共に取り壊されて、2028年を目処に区役所と7000人収容のアリーナを中心とした建物に生まれ変わる。名称は未定だが、「サンプラザ」の名は継承される方針だという。例え名前は残っても、あのサンドイッチ型の建物が、中央線から見られなくなるかと思うと、寂しい限りだ。
「中野サンプラザ」は開業当初は愛称だった。正式名称は「全国勤労青少年会館」で、お堅い名称から察せられるように、旧労働省所管の雇用促進事業団が、雇用保険法に基づいて勤労者、特に若い世代のための福祉施設として建設した。
従って、公共性の高い施設ゆえに、収益性を求めない代わりに、用途に制限があった。しかし、お役所行事だけでは利用頻度が少なく、ホールの維持は税金の無駄遣いと言われかねなかった。これが都内有数のコンサートホールとしての地位を築くキッカケでした。
日本武道館よりは遙に小さいが、音響は同クラスの施設に引けを取らないものであった。また、開館当時2,500席程だったキャパシティーは、東京厚生年金会館、渋谷公会堂、郵便貯金ホール(現:メルパルクホール)よりも多く、若干であれ収益性が高かったことで、音楽や演劇の興行主には好都合だった。
好都合という点では、観客にとってもメリットがあった。JR中央線から見えるほど近い、否、中野駅の北口を出ると、特徴的な形の建物が目前に見えた。ただ、直線的に行けそうに見えて、そうではなかったために、開演時間ギリギリで改札を出た時の焦りはキツかった(笑)。さらに、広い前庭は一般人の往来に余り邪魔にならず、入場待ちの長い列を収容できた。
入場待ちの観客への対応という点で、厚生年金は入り口付近の歩道がすぐに混雑し、渋公は前庭を公園のように造園してしまったため、観客が集まってくると、公園通りに沿って、パルコの辺りまで並ぶこともあった。その後の改修で、公会堂のすぐ前に入場待ちの人が集うスペースが設けられた。その点、メルパルクは、建物の外周に沿って、二列に並ぶようになっていた。
SunHeroが思うに、中野サンプラザの設計ミスは、ホールへ入場するための階段の位置だ。駅寄り(東側)に作ってしまったことで、サンプラザに用事がある人は、入場待ちの列を横切って、正面入口から出入りすることになるからだ。
モチロン、結婚式場やボーリング場等に用事があるなら、中野通り沿い(建物の東壁側)の”まるで通用口”のような出入口を利用すれば良い。ロビー・スペースで特設イベントをやっていたり、雨天に雨宿りをしている人混みを回避できる。
そんな思い出も、建て替えと共に薄れて行ってしまうのだろうか?最後にもう一度、お別れを言いに行きたい。50年近く楽しませてくれて、本当にありがとう!\(^人^)♪
>>”Sunplaza On My Mind”につづく
この記事へのコメント
Dogwood
あっ、師匠、今年もよろしくお願いします。
中野サンプラザはエイジアの1回だけで、師匠の足元には及びません。ワタシはもっぱらライブハウスでしたね。しかし、外タレのコンサートには相当行ってるんですね~、しかも年月日まで覚えてるのに驚きました。過去のライブチケットを全て保管してるのでしょうか。もしそうだったら、そのコレクションを公開されては如何でしょうか。スティングのライブレポも期待してます!ではでは。