オリビアを聞きながら~She has quietly died with her family around her

  

尾崎亜美が書き下ろした杏里のデビュー曲が、Olivia Newton-Johnをモチーフにした失恋ソングでした。流石に半世紀も経ってしまうと、一般的な知名度はどうなんでしょうか?でも、この二人はこの曲を何度もリメイクしているの、知ってましたか?一番最近だと、2017年に杏里がセルフ・カバー・アルバムで、アレンジを一新して(これで何度目の一新か?)いますね。

そして、昨日、覚悟はしていた訃報が飛び込んできました。30年に及ぶガンとの闘病の果て、療養のために住んでいたカリフォルニア州のどこかの牧場で、家族に看取られて永眠されました。享年73歳でした。尾崎さんも杏里さんも、SNSに追悼のコメントを載せています。

Newton-Johnというダブル姓は、英米の場合は珍しいことではないようですね。覚えてる人がどれだけいるのかな?長年NHKで放送されていたアメリカのTVドラマ「大草原の小さな家」は、西部開拓時代に新天地を目指して西へ向かったインガルス一家のファミリー・ヒストリーでした。原作者でドラマの主人公でもあったローラは、結婚してもLaura Elisabeth Ingalls-Wilderと実家の姓も併記していました。

夫婦別姓が日本でも話題に上る昨今ですが、その前段階として銀行みたいに三井住友暢子とかって名乗るはどうでしょうか?これも覚えてる人、少ないかもしれませんが、日本のベートーベンと崇められた佐村河内守さん、佐村家に養子に入った河内家の次男とか三男とかだったかもしれないじゃないですか!(いや、絶対に違う!)

さて、1960年代中頃に単身渡英したオリビアは、1966年にDeccaからJackie DeShannonの"Till You Say You'll Be Mine"でデビューも、その後はCliff Richardのコーラス・シンガーを務めていた。これがきっかけで、バックバンドのThe SahdowsのBruce Welchと付き合い始めた。一方、オーストラリア時代からの友人=Pat Carrollと”Pat and Olivia”というデュオを組んで、日本で言えば居酒屋回りの営業活動を行っていた。

そして、John Farrarと運命的な出会いを果たした。Farrarは元々Carrollの夫で、Welchと共同プロデュースしたデビュー・アルバム“If Not For You”以降、1985年の“Soul Kiss”まで、全てのアルバムにプロデューサー・ソングライター・ギタリスト・バックボーカリストとして関わった。

さらに、このアルバムを最初に発売したオーストラリアのレコード会社=Festival Recordsは、会社が店仕舞いした2005年まで、オーストラリアでの販売を担っていたそうだ。そして、まだ駆け出しだったオリビア彼女をフィーチャーして、Cliff Richardは1972年に来日公演を行ったそうだ。翌年には、東京音楽祭に招待されて、単身来日した。

愛くるしい美貌とイメージ通りの歌声で、日本やアメリカ・カナダでも徐々に注目されるようになったが、歌手として人気が出るまでには時間を要した。Bob DylanがGeorge Harrisonに提供した事で有名な”If Not For You”は、イギリスではアルバムに先行してリリースされ、初ヒットとなった。

これに目を着けた米Uni Records(後のMCA)は、英Pye Internal Recordsから北米でのライセンスを得て、米・加でそこそこのヒットを記録した。だが、英・豪と違って、後が続かなかった。それでも、WelchとFarrarは、アメリカを意識したカントリー・ロック路線の楽曲を歌わせた。

転機が訪れたのは1973年。英・豪では3作目に当たる“Music Makes My Day”だった。冒頭にJohn Denverの「故郷に帰りたい」を持ってくるあたり、アメリカ進出の気概を感じさせるが、豪で発売される頃にはタイトルが“Let Me Be There”に変更されていた。豪では、新たなタイトル曲とDenverのカバーがヒットした。後者は今でも”耳をすませば”、テレビ等から聞こえてきませんか?

そして、英国ではコケた“Let Me Be There”は、アメリカで初のTop10ヒットとなり、グラミー賞の最優秀女性カントリー歌唱賞を受賞した。米MCAは米国未発売だった2nd~4thから、カントリー・テイストの強い曲を中心に選曲し、急遽アルバム”If You Love Me, Let Me Know”をリリースした。

タイトル曲が再びTop10ヒットを記録した後、次のシングルで勝負に出た。カントリー・テイストが微塵も感じられない王道ポップスの「愛の告白」(I Honestly Love You)だった。初の全米No.1に輝き、グラミー賞でも主要4部門で、”Record of the Year”と”Song of the Year”の二冠に輝いた。押しも押されぬトップシンガーの仲間入りを果たした。

それでも、当時のSunHeroはLinda Ronstadtのアルバムばかり買っていた。親のスネかじり虫だったから、OliviaもLindaも・・・・と、両手に花?というわけには行かなかった。初めて買ったOliviaのアルバムは、ナント“Physical”だった。(ELOと共演したサントラ盤「ザナドゥ」は除く)

来日公演にしても、Lindaは1979年の初来日に行っているのに、Oliviaとなると何度目の来日なのか、とにかく2010年まで行ったことが無かった。なのに、どうしたことか、カラオケでも歌ったことが無いのに、半分近い曲でサビの歌詞を口ずさんでいた。本当はOliviaの方が好きだったのか?

心からご冥福をお祈り申し上げます。


この記事へのコメント

  • Dogwood

    しょっちゅう、いや暑中お見舞い申し上げます。
    ウチには「そよ風の誘惑」のシングルレコードがありました。
    イルカ問題とか、色々あった記憶がありますが、あの透き通った
    声は魅力的でしたね。合掌。
    2022年08月20日 20:32

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