SunHeroにとっては、生まれて初めて観に行った来日アーティストだった。John Denverの初来日公演のチケットを買いに、銀座のソニービル内のプレイガイドを訪れた際、既に発売済みだったHelenのチケットが残っていたので買った。公演日の関係で、Helenが最初になった。
メルボルンの芸能一家に生まれたHelenは、4歳から芸能活動を始め、オーストラリアのテレビやラジオで活躍していたそうだ。転機が訪れたのは1966年、日本で言えば「スター誕生」のような番組で見事優勝し、賞品としてニューヨークで歌手デビューのチャンスを得た。
ところが、実際に渡米すると、用意されていたオーディションには尽く落ちてしまった。アメリカのショービジネス界での成功を夢見て、シカゴ⇒ロサンゼルスと移転し、ようやく歌手デビューのチャンスを掴んだ。しかし、1968年にPhilips Reordsから発売されたシングル"One Way Ticket"は、母国オーストラリアで小ヒットを記録しただけに終わった。
1970年にシングル"I Believe in Music"で再デビューしたが、皮肉なことにB面に収録されていた"I Don't Know How to Love Him"が、カナダでTop10ヒットを記録した。これが契機となって、1971年Capitol Recordsと契約した。そして、A・B面を入れ替えて再々デビューを果たした。
"I Don't Know How to Love Him"(邦題:私はイエスがわからない)は、Andrew Lloyd-Webber=Tim Riceが世に出るキッカケとなったミュージカル「ジーザス・クライスト・スーパースター」の一曲で、マグダラのマリア役の持ち歌である。オリジナル・キャストでこの役を射止めたのが、ハワイ出身のYvonne Ellimanだった。
作品全体のバランスを考えれば、Murray HeadがTrinidad Singersをバックに歌った主題歌級の楽曲"Superstar"が、最初のシングルとなったのは当然と言える。続いてYvonneの曲がシングル・カットされたが、一足先にリリースされたHelenのバージョンと競合し、Helenは最高位13位、Yvonneは28位という結果だった。
余談だが、イギリス生まれのミュージカルが、アメリカで大ブームになったが1971年だった。ミュージカルからヒット曲が生まれることが皆無に等しい日本では、想像できないような現象だ。イギリスでは"Superstar"と"I Don't Know How to Love Him"が両A面シングルとしてリリースされたが、今度はPetula Clarkと競合する形になった。チャート上では、共に最高位47位という痛み分けになった。
Murray Headがミュージカル・スター&レコーディング・アーティストとして、その後も活躍したのに対して、Yvonne Ellimanはこうした不運が重なって、ミュージカル界から身を引くことになった。だが、そのまま芸能界から姿を消すことは無かった。
Decca、MCAからアルバムを一枚ずつリリースした後、Eric Claptonのレコーディングやツアーに同行するようになり、Claptonも所属していたRSO Recordsに移籍。1970年代後半に"Love Me"や"Hello Stranger"のヒットを放った。極め付けは、映画「サタデイ・ナイト・フィーバー」で歌った、Bee Gees書き下ろしの"If I Can't Have You"だ。見事全米No.1に輝いた。
対照的に、Helen Reddyは1970年代後半になると、ラスベガスのショーは満員にできても、レコードのセールスは低迷した。新規巻き返しを図ってMCAへ移籍したが、アルバム”Play Me Out”もシングル"I Can't Say Goodbye to You"も芳しくなかった。そして、このシングルが最後のチャート・ヒットとなった。
Carly SimonやLinda Ronstadt、Captain & TennilleのToni Tennille等が、相次いでジャズ・アルバムを発表した時期だったからなのか、Helenも一時ジャズへシフトしていた。やがて、ミュージカルに出演したり、関連したアルバムを発表するようになった。
2002年に芸能界を引退して母国へ帰り、大学で学位を取得し、催眠療法士あるいはmotivational speaker (話術で人にやる気を起こさせる人)の仕事に従事した。2011年に妹の誕生日記念に姉妹デュエットを披露したのをキッカケに、コンサート活動を再開したが、認知症を発症したため完全にショービジネスの世界から身を引いた。
晩年は二人の子供や孫達に囲まれて、穏やかな日々を送ったものと思われる。自作の"I Am Woman"は、女性の地位向上のアンセムとして、今後も歌い継がれて行くことだろう。
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