Dance on Christmas! with K.C. & the Sunshine Band

1970年代にマイアミ・サウンドで一世を風靡したK.C. & the Sunshine Bandは、TK Recordsが倒産した後もレーベルを転々としながら音楽活動を続けている。特に2015年以降はSunshine Soundなるレーベルを立ち上げて、クラブ・シーン向けとネット配信で楽曲を積極的に発表していて、クラブ・シーンではそれなりの成果を収めている。

コロナ渦でストレスの溜まっている皆さん、クリスマスは彼等の往年のヒット曲で踊り明かしませんか?リモート・パーティーのBGMにもイイかもしれませんね。そういう訳で、プレイリストの最後に2015年リリースのクリスマス・アルバムから、オリジナル曲を追加しました。少しは皆様のクリスマスのお役に立つでしょうか?

えっ!どうせなら全部クリスマス・ソングにしろって?では、そういう方々のためにAmazon Musicにある“A Sunshine Christmas”へのリンクも貼っておきましょう。リンク先は2018年リリースの増補改訂盤です。クリスマスの定番曲とオリジナルが混じり合っている月並みな構成ですが、思わずドカン!と爆笑してしまったカバー曲が紛れ込んでいます。曲順も大幅に変更になっていて、こちらの方が聞きやすいと思います。

A Sunshine Christmas|Amazon Music
Title:A Sunshine Christmas(Special Edition)
Artist:K.C. & the Sunshine Band
Release Date:October 2018
(Original Edition released 2015)
Playlist:Amazon Music

さて、K.C. & the Sunshine Band(近年は”KC”と綴られるのが普通)は、共にフロリダ州南東部のハイアリア市(Hialeah)在住の白人青年二人の出会いから始まった。

K.C.ことHarry Wayne Casey(Vo. Keys.)は、プロを夢見ながらレコード店で働き、地元のレコード会社でセッション・ミュージシャンから発送業務まで、様々なアルバイトをこなしていた。そのレコード会社こそ、Henry StoneとSteve Alaimoが1972年に起業したTK Recordsだった。レーベル名は、Stoneの家の屋根裏にスタジオを建てたハウス・エンジニアのTerry Kaneのイニシャルに由来するそうだ。

一方、幼い頃にインディアナポリスから引っ越してきたRichard Raymond Finch(Bass)は、まだ高校生の頃に学友のツテで、TK Recordsでエンジニアのアルバイトを始めた。K.C.と出会う頃には腕のいいエンジニアとして、Allman Brothers BandやMother's Finestといったサザン・ロック系をはじめ、120枚以上のシングルのレコーディングに関わっていたそうだ。

当初K.C.が結成したバンドは、 K.C. & the Sunshine Junkanoo Bandと名乗っていた。メンバーは流動的で、地元のバンド=the Miami Junkanoo BandのメンバーやTK Recordsのセッション・ミュージシャンが出入りしていた。

そんなK.C.にFinchを引き合わせたのは、Henry StoneとBlowflyことClarence Reidだった。意気投合した二人は、すぐさま曲作りを始めた。初期の作品には、George McCraeの”Rock Your Baby”やBeety Wrightの”Where Is The Love”(Roberta Flack & Donny Hathawayのヒットとは同名異曲)があった。

一方で、TKのハウス・ミュージシャンだったJerome Smith(Guitar)とRobert Johnson(Drums)を加えて、白黒混合のディスコ・バンドを組んだ。それが、K.C. & the Sunshine Bandだった。彼等は、”Blow Your Whistle”(1973年9月)と”Sound Your Funky Horn”(1974年2月)の2枚のシングルを出したが、全く売れなかった。

1974年にはレコード会社の支援でファースト・アルバム“Do It Good”をリリースした。イギリスで”Queen Of Clubs”がそこそこのヒットを記録した。だが、彼等のサウンド・プロダクションが注目されたのは、当初Gwen McCraeのために書かれたのに、レコーディングに遅刻したため、代わりに夫のGeorge McCraeが歌い、彼のデビュー曲となった”Rock Your Baby”だった。

それまでの黒人音楽にはなかった陽気で軽快なリズムが受けて、アメリカはもとより多くの国でNo.1ヒットとなった。後にマイアミ・サウンドと呼ばれる音楽の最初のヒットだった。

因みに、この曲は、前週に全米No.1となった男2人・女1人から成るコーラス・グループ=Hues Corporationの”Rock The Boat”と共に、フランス由来のダンス・クラブ=ディスコ(テック)で大いにもてはやされた。今ではアメリカにおけるディスコ・ブームの火付け役と見なされている。




おかげで、Casey/Finchのソングライティング・チームは、自分達のバンドのセカンド・アルバムの制作を認められた。1975年2月に先行シングル”Get Down Tonight”をリリースしたが、すぐには売れなかった。レコード会社は苦慮した挙げ句、バンド名を冠したアルバム(同年7月発売)が完成するまでの繋ぎで、イギリスでヒットした”Queen Of Clubs”をディスコ向けにリリースした。

そして、マイアミ・サウンドに打って付けの夏になると、ようやくディスコ・シーンから火が付いて、”Get Down Tonight”はチャートを駆け上がり、見事全米No.1になった。このとき既に第二弾シングルとして、”That's The Way (I Like It)”がカットされていたので、瞬く間にNo.1に輝いた。

どちらも特徴的なイントロが、ディスコ・ファンのみならず一般受けした訳だが、前者のくすぐったいような・軽く感電したようなリフは、シンセサイザーではなくギターで弾いて倍速再生した音だそうだ。彼等の音楽を紹介するなら、プレイリストの一曲目はこの曲しかないと思った所以です。

後者の方もレアなチャート・アクションで、SunHeroの記憶に今も留まることになった。11月に1週だけNo.1を記録した後、西ドイツのディスコ・ユニット=Silver Conventionの”Fly, Robin, Fly”が3週連続No.1に居座った。一旦は4位まで下降していたにもかかわらず、再度No.1に返り咲いたのだ。

彼等の勢いは翌年にも波及し、サード・アルバム“Part 3”からは、二曲のNo.1と一曲のNo.2ヒットを放った。更に、"(Shake Shake Shake) Shake Your Booty"のB面曲だった”I Like To Do It”までが、37位まで上がるヒットになった。だが、1977年にはニュー・アルバムのリリースがなく、バンドの人気を持続させるべく、4枚目のシングルをリリースしたが、期待した成果は得られなかった。

ようやく4作目がリリースされたのは、「サタデイ・ナイト・フィーバー」旋風が吹き荒れた直後だった。この映画にはセカンド・アルバム収録の”Boogie Shoes”が起用されたので、レコード会社は同曲を急遽シングル・カットした。一応Top40ヒット(最高位35位)にはなったし、これがニュー・アルバムへの布石になればという目論見もあったようだ。

ところが、バンド初のカバー曲にして、リードオフ・シングルとなった”It's The Same Old Song”(The Four Tops 1965年のヒット)は、最高位35位に終わった。しかも、これがアルバムからの唯一のTop40ヒットになってしまった。1970年代のアメリカでは、ラジオ局がヒットの鍵だったが、Top40局での好調なエアプレイとは対照的に、R&B局での反応は捗々しくなかった。

それでも彼等はレコーディング活動を続けた。1979年6月リリースの5作目は、ファースト・シングルこそ大コケしてしまったが、続くシングルで初めてスローな楽曲に挑戦した。”Please Don't Go”はじわじわとチャートを上昇し、1980年第一週のBillboard Hot 100でNo.1になった。さらに、B面曲の”I Bet'cha Didn't Know That”(Frederick Knightが1975年に発表した自作曲)が、R&Bチャートで最高位25位を記録した。

正に80年代の幕開けを飾ったものの、もはや「オワコン」と悟ったのか、K.C. & the Sunshine Bandは解散し、K.C.はソロに転向した。だが、せっかく久々にNo.1ヒットが出たんだからと、レコード会社は1980年に初ベスト盤をリリースし、未発表曲”Let's Go Rock And Roll”をシングル・カットした。結果は「オワコン」を証明するだけだった。

1981年にはK.C.改めKCとしてのソロ・アルバムが発売された。これがTK Recordsからの最後のリリースとなった。Finchとのコンビは継続していたが、二人の共作曲は冒頭の3曲のみとなった。基本的な制作形態が同様であることから、現在では一連のバンド名義作品の1つと見なされている。

実際、同年秋には、Epic移籍第一弾として、再びバンド名義のアルバムが発売された。KC単独曲が登場し、Finchとの共作は一曲のみ。更にVan McCoy(Barbara Lewis 1965年のシングル曲)やDonna Summerのカバーをはじめ、外部ソングライターの起用が顕著になった。

プレイリストにピックアップした”It Happens Every Night”はRonald Kalstein、どこか”Rock Your Baby”を彷彿とさせる”Sway”もDominic BugattiとFrank Muskerによる楽曲だ。

1982年にもバンド名義のアルバムがリリースされたが、とうとうFinchとの共作は無くなった。彼は主要なバックトラックを担当しているので、今で言うトラックメーカー的役割を担っていた。逆にKCは色々なソングライターと共作し、そのうちの一曲が後にソロ名義でヒットした”Give It Up”だった。

この曲は、1983年にイギリスで何かのきっかけでNo.1ヒットになったのを皮切りに、英語圏とヨーロッパで軒並みTop10ヒットになった。しかし、米Epicは時代遅れと見なして、シングル発売を拒んだ。そこで、Meca Recordsなるインディー・レーベルがKC名義でリリースしたところ、翌年Billboard Hot 100で最高位18位を記録するヒットとなった。

Mecaが堂々とシングル発売できたのは、KCというソロ名義で“KC Ten”というアルバムをリリースしたからだ。Finchとの共作が一曲あるものの、レコーディングには参加しておらず、文字通りのソロ・アルバムだ。そして、これ以降のバンド名義のアルバムに、ミュージシャンやプロデューサーとして、Finchがクレジットされることは無くなった。

そして、紆余曲折を経て、前述のクリスマス・アルバムへ繋がっていくのであった。

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