
ロックの洗礼を受けると、Alexがギター、Eddieがドラムと役割を分担した。やがて弟の留守中にドラムを練習していた兄の方が上達してしまい、担当を交代したそうだ。また、Eddieは一時ピアノも練習していたそうで、ギターも弾けるSammy Hager加入後はシンセサイザーに夢中になって、ライブでもほとんどギターを弾かなくなった。
日本のロック・ファン、とりわけギター・キッズ達は大いに失望したが、アメリカではDavid Lee Ross在籍時以上の商業的成功を収めた。だが、EddieとSammyの確執は、初の公式ベスト盤に入れる新曲にDaveを誘ったことで決定的となった。
Hagerの脱退で、Rossに再加入を打診したものの、スケジュール調整が付かず、解散したばかりのExtremeのGary Cheroneを三代目ボーカリストに迎えて、「Van Halen Ⅲ」をリリース。だが、セールスは振るわず、Van Halen兄弟とレコード会社の方針の食い違いから、次作のレコーディングが捗らず、嫌気が差したCheroneはあっさり脱退してしまった。
恐らく、Eddieが最初にがんと診断されたのは、その頃ではないかと思われる。1990年代後半は、ヒップホップが音楽の主流に躍り出て、ベテラン・ロック・アーティストでも売れない時代になっていた。ハード・ロックとヒップホップの融合を試みたミクスチャー・ロックが、辛うじてロックの面目を保っていた。
そうした時代背景にもかかわらず、Eddieのギタリスト復帰を大歓迎したのは、やはり日本のファンだった。1998年の来日公演は大盛況だったが、評論家筋からは、Eddieのギターに冴えが無いという酷評もあった。Eddieが舌がんを公表したのは、2001年のことだった。
翌年には、あろうことかHagerとRossがジョイント・ツアーを行ない、Van Halenへの積年の恨み辛みをぶちまける格好になった。そのツアーに結成当時からのベーシストだったMichael Anthonyが帯同したため、Eddieの逆鱗に触れ、以後はサポート・メンバー扱いにされ、最終的に袂を分かった。そして、弱冠15歳でEddieの息子=Wolfgangが、ベーシストとして加入した。
2007年にロックの殿堂入りを果たしたのを契機に、Rossが正式にバンドに復帰したが、Eddieの健康上の理由から、ツアーは同年後半になって実現した。だが、オリジナル・アルバムは2012年まで待たなければならなかった。
ようやく本格再始動したかに見えたVan Halenだったが、2012年5月にEddieの舌がん再発が発表され、さらに8月にはEddieが大腸憩室炎の緊急手術を受けたため、日本公演を含む以後のツアーが延期になった。翌年、15年振りの来日公演をはじめ、延期されたツアーが敢行されたが、これがバンド最後のツアーとなった。
現地時間で10月6日、ライトハンド奏法の創始者=Eddie Van Halenが咽頭がんで逝去した。65歳だった。実に人生の3分の2は、闘病生活だったことになる。想像を絶する壮絶な一生と言わざるを得ない。(黙祷)
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