「渋谷パレス座」は、バブル景気と共に渋谷が若者の街=新しい文化の発信地として変貌し始めた頃、建物自体が既に築40年以上だったため、周辺環境の変化に合わせるべく、1990年6月に休館した。同地に新たに建設された渋谷三葉ビルの7階に、1992年3月「渋谷シネパレス」としてリオープンした。更に、2003年6月には改装して、二館体制に移行した。
閉館理由は「諸般の事情」としか説明はないが、映画興行会社としてスタートした三葉(みつば)興業は、都内にいくつかの物件を所有しているものの、「渋谷シネパレス」以外には自社運営の映画館や店舗はないようだ。今回の閉館により、完全に不動産賃貸業者となる。映画興行で独自のポリシーとノウハウを持つPARCOに丸貸して、家賃収入を得る道を選んだという訳だ。
立地的にも、西武渋谷店B館の裏、渋谷ロフトの向かいのビルで、入口が西武百貨店二館の間から西へ伸びる井の頭通りに面していないため、うっかり通り過ぎてしまう人も居るのではないだろうか?渋谷ロフトとの間の路地に入っても、西武の裏口と間違えそうな程、存在感の薄い建物だ。むしろ、その路地を抜けて公園通りに出ると、すぐ右手に渋谷HUMAXシネマがある。そっちの方が、よっぽど目立つ。シネクイントに生まれ変わることで、劇場施設の改修だけでなく、客が容易に辿り着けるような工夫もなされるだろう。
ただし、現在建設中の新・渋谷PARCOは、2019年に竣工する予定だ。耐震性の問題で一足先に閉館したPART2の跡地には、今年2月にアパレルとホテルの融合というコンセプトのhotel koe tokyoがオープンした。PART1とPART3は2016年に揃って休業し、両敷地を統合した新しい建物に生まれ変わる。恐らく、PARCO劇場は、その中に復活するだろう。では、シネクイントはどうなるのだろうか?
渋谷の街は、至る所で再開発が進められている。その先駆けと言えるのが、渋谷駅ハチ公前広場とスクランブル交差点で向かい合うQFRONTだろう。1999年竣工なので、来年20周年を迎える。渋谷では109と共にランドマークとして、すっかり世界的に有名になった。その後、再開発が盛んになったのは、2005年に渋谷駅周辺が都市再生特別措置法に基づく特定都市再生緊急整備地域に指定されたからだ。
ほぼTSUTAYAが占拠している印象のQFRONTも、実は東急グループの物件だ。その他、2012年4月にオープンした渋谷ヒカリエなど、東急グループの再開発事業ばかりが目立つが、ヒカリエの地下に移転した東横線の渋谷駅の跡地を利用して、JR渋谷駅の大規模改修工事も進行しているそうだ。確かに、今のJR渋谷駅は、乗降客の増加がプラットフォームの許容量を超えてしまっているし、山手線と埼京線の乗り換えも不便だ。
駅から少し離れれば、渋谷区役所と渋谷公会堂をひとまとめにした公共施設の建て替えもスタートしている。また、NHKホールも含めたNHK放送センター全体の建て替えも検討中という噂だ。
そんな状況下、PARCOも東急も生き残りを賭けた事業転換を進めている。そもそも渋谷という街が、単に物を売るだけではなく、新しい文化(サブカルチャー)の発信地として、今や世界から注目されるようになったのは、PARCOや109の貢献が大きい。だが、その基盤を作ったファクターのひとつであるミニシアターは、次々に閉鎖に追い込まれている。
QFRONTと言えば、その別館という意味合いでTSUTAYAの関連会社が手掛けたQ-AXビルは、2006年にオープンした。わざわざ移転してきたユーロスペースなど、ミニシアターのシネコンといった感じのユニークな存在だ。中でも、中核をなしていたQ-AXシネマは、ミニシアターらしからぬ設備が素晴らしかったが、渋谷シアターTSUTAYAに改称も、2010年に閉館した。
銀座から引っ越してきた映画美学校がその設備を引き継いだ後、ビル全体を管理していたQ-AXは解散してしまった。2011年には、映画美学校が旧Q-AXシネマ2館のうち、2階の方を映画上映に限らない多目的ホールの「オーディトリウム渋谷」としてオープンし、同時に建物自体の名称もKINOHAUS(ドイツ語で映画館の意味)に変更した。
一方、Q-AXへ引っ越してしまったユーロスペースの後釜には、その設備をそっくり継承する形で、2005年12月に日販が運営するシアターN渋谷がオープンした。文字通り単館上映と言える個性的な作品を次々に上映し、映画関連本を多数取り扱うなどの特色を打ち出してきたが、デジタル化の波に乗り切れず、2012年12月に閉館してしまった。
また、芸能事務所「アミューズ」が、「パッチギ!」や「フラガール」をヒットさせた映画会社「シネカノン」と共同運営で、1995年に東急百貨店本店向かいに「シネ・アミューズ」をオープンした。だが、人材派遣会社「ヒューマントラスト」にネーミングライツを売って存続を図ったものの、名称変更から僅か10ヶ月後の2009年10月に閉館した。
ただし、渋谷・宮下公園の向かいにあった「アミューズCQN」とシネカノン直営の有楽町の映画館は、2009年に東京テアトル傘下となり、それぞれ「ヒューマントラストシネマ渋谷」・「ヒューマントラストシネマ有楽町」として今も営業している。既に経営が悪化していたシネカノンは、2010年に民事再生法を申請した。
渋谷で忘れてならないのが、ミニシアター・ブームの先駆けとなった「シネマライズ」だ。松竹系のミニシアターとして、1986年にスペイン坂を上り切ったPARCOの向かいにオープンした。スペイン坂に沿って次の上映回を待つ長い列が出来るほどの盛況振りで、1992年に松竹系列から独立した。だが、全国規模のロードショーには乗らないマイナーな良作の配給を担っていた中堅配給会社が相次いで倒産して、上映作品の潤沢な供給が得られなくなった。
最盛期には3スクリーン体制だったが、ブームが去ると、地階の2スクリーンを閉館し、2010年にスペースシャワーネットワークが運営するライブハウス「WWW」に転換した。残る1スクリーンも同社のライブハウス「WWW X」となり、シネマライズは2016年に30年の歴史に幕を下ろした。
他にも、1985年に渋谷プライム6階にオープンしたシネセゾン渋谷は、2011年2月に閉館した。名称にセゾンという言葉を含むが、運営母体は東京テアトル。3スクリーン体制の「ヒューマントラストシネマ渋谷」に集約して効率化を図るというのが、閉館の理由だった。現在はCBGKシブゲキという演劇を中心とした劇場になっている。
華やかな再開発の一方で、ミニシアターは2010年前後に大きな節目を迎えていたようだ。「シネクイント」の復活は、コアな映画ファンには朗報だろうし、ミニシアター界に差し込んだ一条の光だが、渋谷PARCOが新装オープンしたら、どうなるのだろうか?
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