パーフェクト・レボリューション (2017日本 PG12) [初日舞台挨拶]

障害者の恋愛と性を、ラブ・コメディの体裁で描いた映画が、「パーフェクト・レボリューション」だ。久しぶりで初日舞台挨拶の先行予約に当選したので、TOHOシネマズ新宿で鑑賞した。舞台挨拶付き上映となると、大抵チケットぴあが絡んでくるので、諸手数料が掛かって高く付くし、当落が分るのは一週間くらい前だし、当ったら当ったで何かと忙しない。

それでも、チケぴのイイところは、当落がハッキリしてから都合が悪くなった場合、「リセール」という他人に譲れるサービスがあることだ。ただし、「リセール」に出すには、コンビニ等で発券していないことが大前提だ。また、前日までに買い手が付かなかったら、残念でしたとなる。万一に備えて、発券はリセールに出すには手遅れな前日にした。

ちなみに、10月8日に名古屋と大阪での舞台挨拶も決まった。相変わらず、チケぴ絡みだけど、自らの実体験を元に、この映画を企画した熊篠慶彦氏も登壇する予定なので、興味のある方はレッツ・トライ!(それとも、もう手遅れ?)

熊篠慶彦氏は、脳性麻痺で四肢の自由が効かないため、車椅子生活を送っているが、「身体障害者だって恋をするし、性欲もある」と、障害者の性への理解を訴える活動を行なっている。主人公を演じているリリー・フランキーは、10年前とあるイベントで熊篠氏の活動を知って、何らかの形で氏の活動を支援したいと思っていたそうだ。一方、松本准平監督は、5年前に知人から熊篠氏を紹介され、そこから映画化の話が始まった。

ドキュメンタリー・タッチではネガティブで重たいイメージになって、映画自体が特別扱いされ、多くの人に見てもらえないだろう。どう描いたら、エンタテインメントとして成立するのか?監督は、熊篠氏と何度も話し合いを重ねるうちに、障害者を社会的弱者としてではなく、健常者と同じ感覚を持つ普通の人だという思いが湧いてきたそうだ。

そしてついに、熊篠氏の実名を捩った「クマ」こと熊代嘉浩と、氏が当時付き合っていた女性を「ミツ」のモデルに、自分達のやり方で障害を乗り越えようと奮闘する「不完全な二人が完璧な革命を目指す」ストーリーが誕生した。障害者の実情を描きながらも、少々ハチャメチャな展開で娯楽性を持たせることに成功した。

そんな主人公を演じているのは、今や俳優が本業のような活躍振りのリリー・フランキーと、「TOKYO TRIBE」での体当たりの演技が評価され、今年はテレビ朝日系列の昼帯ドラマ「やすらぎの郷」に客演し、次の「トットちゃん」では主演に抜擢された清野菜名という、旬なキャスティングだ。


舞台挨拶終盤のフォトセッションより(SunHero撮影)

熊篠氏の世界に一台しか無い(?)特注の車椅子も、映画で実際に使われた。公共性の高い施設ではバリア・フリー化が進んでいるが、冒頭に出てくる書店や実際の風俗店など、まだまだ障害者の利用を想定していない所は沢山ある。ただし、冒頭ではそれを逆手に取って、密かな楽みとしている主人公が微笑ましかった。これなら、シリアスなテーマでも、すんなり入って行ける。

脚本も手掛けた監督の緩急を使い分けた演出は、多少大袈裟だが、観客の気持ちを和ませるのも確かだ。リリー・フランキーがネタバラシした「ハート・マークのワイプ抜き」には、やり過ぎ感は否めなかったが、起承転結の「転」の部分で、観客が自然と主人公に感情移入してしまうための布石だったようだ。つまり、「あくまでも、ラブコメだよ」というダメ押し(再確認)という意図があると思った。

「クマ」が身体障害者なら、「ミツ」は人格障害という精神障害を負っていた。いわゆる社会不適合者だ。身の回りの不条理に立ち向かおうとして、「クマ」と周囲の人達を振り回す。舞台挨拶でリリー・フランキーもサラッと語っていたが、「ミツ」の破天荒な考え方・行動こそが、実は正論じゃないのか?と思った。だからと言って、「クマ」が好きすぎて、危険な目に遭わせてしまっては、本末転倒だろう。

娯楽作品として立派に成立しているのに、主人公が障害者というだけで敬遠しちゃいけないと思った。とは言え、清野菜名が出演していなかったら、彼女が舞台挨拶に登壇しなかったら、観てみたいとは思わなかっただろうというのも、正直な気持ちだ。

彼女の凄いところは、この舞台挨拶にわざわざ名古屋から来たという女性の許へ、自ら握手しに行ったことだ。予定外の展開に、まずスタッフ間に緊張が走った。観客も驚いた。そんなどよめきの中、物怖じせず客席の階段を上り下りした姿は、「ミツ」そのものだと思った。ますます好感度が増した。

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