
大学生になった頃には、音楽雑誌・書籍を読み漁って、大好きなあの曲もこの曲も、アーティストやプロデューサーは違えど、ほぼ同じミュージシャンたちが演奏しているという事実を知った。それが、レッキング・クルーと呼ばれたスタジオ・ミュージシャン達だった。
実際には、どこまでがメンバー(常連メンバーは後述の通り)なのか不明瞭だが、皆LAを活動拠点としていた。そんな連中(クルー)に関して、詳細な考察に基づく書籍が何冊も刊行されているが、それを映像で確認できるのが、今年の2月から日本でも単館巡業が始まった「レッキング・クルー~伝説のミュージシャンたち~」という映画だ。
国内版Blu-ray/DVDも発売されている本作だが、公式サイト以上の情報は得られないようだ。彼等の事を詳しく知りたければ、翻訳本を読む方が手っ取り早いようだ。監督のデニー・デデスコは、名前から明らかなように、クルーのギタリストの一人=トミー・デデスコの息子で、本業はIMAXの映像技士なんだとか。父親が肺ガンと診断されたのきっかけに、父親とその仲間達の功績を映像に残そうと、本業の傍らで1997年頃から制作に着手したそうだ。
当時の動画や写真を収集する一方で、メンバーや縁のあるアーティストにインタビューを行ない、彼等が携わった音楽が全編に渡って使われている。2008年に完成し、数々の映画祭で上映されたが、一般公開のためには、楽曲の使用料として50万ドルは必要だと判明した。スポンサーを募り、募金を集めても、半分程度にしかならず、残りはクラウド・ファンディングで乗り切って、2015年ようやく全米公開に漕ぎ着けたそうだ。
諸説あるらしいが、レッキング・クルーの始まりは、ソングライティング・チームとしてスタートしたLou AdlerとHerb Alpertが、Jan & Deanを売り出す際に集めたジャズ系ミュージシャン達だった。1950年代終盤、NYのジャズ・シーンの隆盛に対して、LAの方は低迷期にあって、腕利きミュージシャンが割と安いギャラで雇えたんだそうだ。
Phil Spectorは二人の手法に目を付け、彼等を"Wall Of Sound"誕生の現場に起用した。やがて、Bones Howeに重用されるようになり、彼がプロデュースしたThe Fifth Dimension、The Associationのレコーディングで演奏することになった。一方、Brian Wilsonが凝った音作りを始めると、弟達の演奏技能では物足りず、名盤“Pet Sounds”や幻の作品“Smile”のレコーディングに、彼等を起用した。
こうして、彼等は西海岸の売れっ子ミュージシャンとして、数々のヒット曲に関わるようになった。しかし、当時のレコード業界では、スタジオ・ミュージシャンの名前がレコードに載る事は無かった。著作権を明確にするため、プロデューサーと作詞作曲家の名前が載るだけだ。故に、業界内では超有名でも、世間的にはあの曲もこの曲も同じメンツが演奏しているとは、知られる由も無かった。
そういった変遷を知らないと、スタジオ・ミュージシャン達の自慢と思い出話に終始した、脈絡の無い映画にしか思えないだろう。幸いな事に、限り無く初心者に近いSunHeroでも楽しめるよう、映画館側が上映前トークショーで作品解説をするという、一夜限りのイベントを企画してくれた。
立川のシネマシティは「単館シネコン」なので、あの手この手で集客アップを図っている。その一環として、音楽評論家としての著書も多数あるプロデューサーの立川直樹氏を迎え、解説付き上映会を開催していた。記念すべき第一回は3月24日に行なわれた『デヴィッド・ボウイ・イズ』で、今回(5/20)は二回目だそうだ。
それ以前にも、Elvis Presley主演映画を全作品上映するという長期イベントがあった。時折、今や音楽評論家よりも作詞家として有名な湯川れい子女史を迎えたトークショー付き上映も行なわれたようだ。無類のElvisファンだから、彼の訃報が飛び込んできた際には、ラジオ関東(現・ラジオ日本)の土曜日深夜の人気番組「全米トップ40」の収録をすっぽかして、渡米してしまったなんて事もあった。「全米トップ40」は、SunHeroの音楽嗜好の方向性を決定付けた思い出深い番組だった。
話を戻そう。第二回目は余程コアな洋楽ファンでなければ興味を持たないようなドキュメンタリー映画ということで、彼等の事を語らせたら一晩中喋り捲りそうなゲストを呼んでいた。従って、立川直樹✕萩原健太トークショー上映だった。トークショーは30分程度だったが、上映前にインプットしておくべきポイントは、一通り語ってくれたようだ。
同時代にデトロイトを中心に活躍し、60年代のMotownの多数のヒット曲に関わったThe Funk Brothers同様、メンバーは流動的で、括り方によっては総勢30名にも及ぶそうだ。中心的なメンバー、というか、映画に頻繁に登場するのは、以下のミュージシャン達だ。
☆ハル・ブレイン(drums)
☆アール・パーマー(drums)
☆トミー・テデスコ(guitars)
☆アル・ケーシー(guitars)
□グレン・キャンベル(guitars)
☆ビリー・ストレンジ(guitars)
☆キャロル・ケイ(bass)
☆ジョー・オズボーン(bass)
☆プラス・ジョンソン(saxophones)
☆スティーヴ・ダグラス(saxophones)
☆ドン・ランディ(keyboards)
□レオン・ラッセル(keyboards)
クルーの中でも、ハル・ブレイン(drums)、ジョー・オズボーン(bass)、ラリー・ネクテル(keyboards)は、Dunhill Rhythm Sectionとも呼ばれた。Barry McGuireやThe Mamas & The Papas、The Grassroots(The Grass Rootsに改名した際、実はメンバーの総入れ替えがあって、以後自分達で演奏するようになったとか)といった、1960年代に活躍したダンヒル・レコードのアーティストのレコーディングには欠かせないメンツだったんだとか。
The Monkeesがビートルズに対抗するために捏ち上げられたバンドで、プロのミュージシャンとして通用する技量があったのは、Mike Nesmithだけだったというのは有名な話だ。だから、デビューと同時に爆発的な人気を獲得した反面、批判も沢山受けた。実際に演奏していたのはレッキング・クルーの面々だし、彼等のヒット曲はNeil DiamondやGoffin/King等の職業作曲家が担っていた。周到な分業制がもたらした成功だった。
実際には、そんなグループが沢山存在していた時代だった。更に、Simon & Garfunkelのようなデュオやソロ・シンガーには、レコーディングで演奏してくれるミュージシャンが必要だった。だが、映画の中でも語られているように、1970年代に入ると、自分達で曲を作り演奏するバンドが次々に登場した。彼等はそれぞれの道を歩む事になった。
でも、時代は繰り返すと言われるように、1970年代のシンガー・ソングライター・ブームを支えたのは、The SectionとかAttitudesとか名乗っていた連中だし、1980年代にはTotoのメンバーが八面六臂の活躍だった。1970年代の日本でも、荒井由実(現・松任谷由実)の登場と共に生まれたニュー・ミュージック(J-Popの源流)というジャンルでは、キャラメル・ママとかティン・パン・アレーと名乗っていた錚々たるミュージシャンが演奏面を支えていた。
監督には失礼かもしれないが、ドキュメンタリーと言っても、クルーの誕生から盛衰を丁寧に描いている訳ではない。丁度スクラップ・ブックのようなものなので、予習ナシで観たら訳が分からないと思う。SunHeroがこの映画に興味を持ったのは、1970年代に入っても、地道に活躍していたミュージシャンが居たからだ。
SunHeroはカーペンターズをきっかけに10代を洋楽一辺倒で過ごす事になった。社会人になるまで、親の援助や小遣いで観に行ったコンサートは、外タレの来日公演ばかりだった。一番観たかったのは、もちろんカーペンターズだったが、大学生の時に叶わぬ夢となってしまった。そのカーペンターズのレコーディングやコンサートに同行していたのが、ハル・ブレインとジョー・オズボーンだった。
あくまでも推測だが、グラミー賞を2年連続で受賞して、レコーディングと平行してツアーも行なうことになると、バック・バンドが必要になる。カレン・カーペンターがステージ奥でドラムを叩きながら歌うのは、TVではアップで映っても、ライブ・ステージ映えはしない。アマチュア時代にデモ・テープ作りで世話になったジョー・オズボーンとは旧知の仲だし、他にも仕事が減ってしまった腕のいいミュージシャンが居た。旧知に一生を得た?
カーペンターズにとって更にラッキーだったのは、契約したレコード会社がA&Mだったこと。A&Mの創業者の二人は、クルーと古くからの付き合いがあった。Herb Alpert & The Tijuana Brass名義になる前は、レコーディングでクルーの世話になっていたと思われる。しかも、カーペンターズのサウンドは、ロック全盛期の1970年代にあって、自分達の親世代に支持されやすい一昔前の王道ポップスだった。相性が悪い訳ないだろう。
日本では1995年のブームで、一番人気の曲が「青春の輝き」に変わってしまったが、SunHeroが最初に耳にした曲ということもあってか、"Yesterday Once More"こそ不朽の名曲だと思う。この曲を収録したアルバム “Now And Then” の同曲から始まるカバー曲メドレーには、そのオリジナルでも実際に彼等が演奏していたと思われる曲がある。背景を知って改めて聴くと、何とも感慨深い。
このドキュメンタリー映画を見て、カーペンターズに思いを馳せた観客って、恐らくSunHeroだけだろう。即席で映画の理解を深められたトークショー、1時間くらいやっても良かったと思う。他の単館上映を観に行かなくても、向こうからやって来てくれた上、萩原健太氏の熱い解説まであって、しかも【極音上映】だった。ホント諸条件に恵まれた鑑賞だった。
そういえば、エンド・ロールを観ていたら、本作のエグゼクティブ・プロデューサーとして、A&Mの二人=Herb AlpertとJerry Mossが名を連ねていた。長い年月を経て、ようやく恩返しが出来たといった感じか?ただし、監督にはIMAXテクニシャンとして、今後も高品質な映画を提供する事に尽力してもらいたい。きっとIMAXで映画を観る度に、監督と本作のことを思い出すだろう。
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