PARKS (2017日本) [続・永野芽郁月間]

映画公式サイトへ永野芽郁月間の三本目にして、ラストを飾るのは、橋本愛主演の映画「PARKS パークス」です。前二本とは違って、単館系上映作品なので、全国順次拡大上映となっております。限られた映画館でしか上映されないため、公式サイトの上映日程を確認して、お近くで鑑賞できるようでしたら、ぜひご覧下さい。

こういう時に役に立つのが、東京・立川にあるシネマシティだ。単館系と言っても、インディペンデントなシネコンで、本作の舞台=吉祥寺にあったバウスシアターの流れを汲む、極上爆音上映(極爆)とか極上音響上映(極音)という独自の音響調整で、全国同時公開モノから単館系作品まで、次々に話題作を上映している。

かく言う本作も、極上音響上映だったので、ロケ地にある吉祥寺オデヲンではなくて、立川で見ることにした。そもそも、毎年、年会費を払って、シネマシティズンになっているのに、利用しないのはモッタイナイ。ただし、本作に限っては、どの辺が「極音」だったのか、ちっとも分かりませんでした。やはり、他所でもう一度見てみないと、違いは分からないようです。

さて、この映画は、今も東京近郊で住みたい街のTop3に入る吉祥寺が舞台です。映画に登場する駅も、鉄道も、大学も、スタジオも、ライブハウスも、謂わばカメオ出演(笑)です。そして、井の頭恩賜公園だ。今月、開園100周年を迎えました。その記念で作られた映画でもあります。

発起人は、2014年に惜しまれながら閉館した吉祥寺バウスシアターの支配人だった本田拓夫氏です。「映画館の終わりを映画の誕生のきっかけにできたら」と思ったのが、本作制作の発端だそうです。流行り廃れはあっても、普遍的な創造性が根付いているという、街の特性を象徴した発想だ。

見方を変えれば、近鉄や伊勢丹といった百貨店が相次いで撤退しても、吉祥寺が廃れないのは、この街が長い年月を掛けて培った文化的なライフ・スタイルが、すっかり定着しているからに他ならない。

そして、映画の序盤で主人公の女子大生(橋本愛)が友人と待ち合わせをした場所こそ、30年余りに渡って廃墟同然だった井の頭線・吉祥寺駅の駅ビルが、建て替えられて生まれたキラリナだ。このビルのオープンから程なくして、バウスシアターは30年の歴史に幕を下ろした。

それだけでも、十分ニクい演出だが、友人として登場するのが、実際に「キラリナ」の広告モデルを務めている長尾寧音(しずね)だ。待ち合わせ場所にやって来た友人に、女子大生がある仕草をするのだが、その意味に気付いたのは、帰宅後に映画のパンフを見ていた時だった。

映画は、井の頭公園が一番華やかな桜の季節から始まる。かなり野暮ったい演出だが、それは吉祥寺や井の頭公園に馴染みの無い人達には、必要不可欠なイントロダクションだろう。

続いて、卒業を控えて、留年の危機に直面した女子大生の物語が始まる。そこへハルと名乗る高校生くらいの少女(永野芽郁)が現れて、父親の遺品を見せて、父の昔の恋人が住んでいたアパートだと言って、女子大生の部屋に居着いてしまう。

卒業レポートの格好のテーマだと思った彼女は、少女の父親の青春を辿る旅に付き合うことにする。父親の元カノは偶然にも近所に住んでいたが、ようやく家を探し当てた時、そこに住んでいたのは孫のトキオ(染谷将太)だった。トキオは祖母の遺品の中から、50年前のオープン・リール・テープを見付け出す。

テープに残されていたのは、途中までしか再生できない自作の曲だった。女子大生と少女とトキオは、未完とも思える楽曲を完成させるために奔走し、楽曲は完成し、フェスで披露するために、楽器が弾けるメンバーを集める。だが、フェスの当日、思い掛けない事態になる。

一見、青春映画のようだが、途中からハルが50年前の父親達の時代にも関わるようになると、現代と半世紀前が交錯して、ミステリー仕立ての展開になる。観客は否応なしに、ちょっと居心地の悪い、ふわふわした世界に放り出される。見終わった後、何とも釈然としない感覚が残った。公園を巡る時空を超えたファンタジーだと閃いたのは、翌日、目を覚ましてからだった。

ストーリーをまともに追っていくと、見終えた後に一体どういう映画だったのか?という疑問しか残らないかもしれない。実は、Chapter 2でハルのことを"Unknown Girl"と紹介していた。その時点で、既に伏線は張られていたのだ。

あるいは、次々に出てくる吉祥寺ゆかりのミュージシャン達が分かれば、もっと別な楽しみ方もあるというモノだ。本作の音楽全般を取り仕切ったトクマルシューゴまでが出演している。一方で、女子大生が住むアパートのオーナー宅や、トキオの家には沢山のレコードがある。正に文化的レガシーの象徴だと思った。

更に、エンディングには、相対性理論の「弁天様はスピリチュア」が使われている。相対性理論は、バウスシアターで実験的な演奏を行なったことがあり、合間に井の頭公園を散策したやくしまるえつこが、公園に集う人達に漂う浮遊感に触発されて出来た曲だそうだ。

住宅地に囲まれた緑豊かな公園で、一時非日常的な気分に浸る。50年前とほとんど変わらない佇まいの公園の中に、時間的隔たりも超越したスピリチュアルなものを感じるからこそ、人々は集い、癒されるのかもしれない。井の頭公園とは縁もゆかりも無かった瀬田監督だからこそ、公園の持つ神秘性を客観的に描くことが出来たのだろう。つまり、本当の主役は、井の頭恩賜公園だった。開園100周年に間に合って、本当に良かった。

色々な事が頭の中で整理されるまで時間は掛かったが、それは永野芽郁がキー・パーソンである不思議少女ハルを、存在感豊かに演じていたために陥った混乱だった。わざわざ橋本愛の台詞で、ハルの正体の不確かさを指摘しているので、よほど鈍感で無ければ、途中で気付くはずだ。結果的に、永野芽郁出演の三作品の中で、一番印象深いものとなった。

これで、永野芽郁月間 完全制覇!と思っていたら、実はもう一本あった。菅田将暉主演の「帝一の國」だ。映画館で何度もトレーラーを見ていたはずなのに、全然気付かなかった。それもそのはず、キャストとして名前が挙がるのは、男ばかり。全く興味を抱かなかったせいで、一瞬だけ映る顔にピンと来なかった。

ところで、50年前の元カノを演じていた石橋静河、物凄く見覚えのある顔だったが、テレビで見たのか、映画で見たのか、どうしても思い出せなかった。本作とは別のモヤモヤ感を抱いていたら、答えは直前に見せられたトレーラー(予告編)にあった。「夜空はいつでも最高密度の青色だ」で、池松壮亮と共に主演しているのだ。本作では見事に1960年代の若者に扮していたので、直前のトレーラーの彼女とは即座に結びつかなかったという訳だ。

SunHero、まだまだ修行が足りませぬ。(´д`)

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