今月初めにはアトランタ公演を体調不良で途中キャンセルし、その後インフルエンザで緊急入院したものの、程なく退院したというニュースに、一安心したばかりだった。1960年代のBeatlesとRolling Stonesのように、1980年代にMichael Jacksonと人気を二分したPrinceだが、何もライバルと同じ50代で逝ってしまう必然なんて無かったはずだ。
BeatlesとRolling Stonesだったら、Beatlesを選んだSunHeroは、MichaelとPrinceなら迷わずMichaelだった。Queenの故Freddie Mercury同様、衣装から歌い方まで、視覚的に


Rolling Stonesの場合は、NHKの不定期洋楽番組「ヤング・ミュージック・ショー」で、故Billy Prestonが参加していたパリ公演の模様を見て、Mick Jaggerのカリスマ性にたちまち魅了され、当時の最新アルバム“Black And Blue”を友人から借りて聴いた。その次が“Some Girls”で、都内の輸入盤専門店を探し回って、"Miss You"の12インチ・シングルを買い求めたほど、夢中

Queenの場合は、アルバムで言うと“The Game”が突破口となった。既に「伝説のチャンピオン」が全米No.1になった頃から、彼等の音楽に馴染めるようになり始めたが、彼等にとっても思い切った方向転換をしたアルバムで、SunHeroもすんなり聞けるようになった。とりわけ、John Deacon作の「地獄へ道連れ」には、


そして、Prince殿下だが、映画も音楽も大ヒットした「パープル・レイン」の頃が、一番嫌だった。世界中が紫色に染まってしまうんじゃないかと思ったほどの大人気に、すっかりウンザリしてしまったからだ。何しろ、前作「1999」から「リトルレッド神戸」

Michael Jacksonが寡作になっていったのとは対照的に、毎年のようにアルバムを発表し、いずれも高い評価を受けた。そんな際限なく迸り出る非凡な才能にようやく気付いたのは、2作後の「パレード」だった。Jack Nicholsonの怪演振りだけが印象に残った「バットマン」に至っては、映画よりも缶入りサントラCDを入手することに夢中になった。
近年は古巣Warner Bros. Recordsに戻ったが、もはやTime-Warner傘下の会社では無いから、経営陣だって一新されているだろうし、昔の確執も軋轢も消えて、契約内容にも甚く満足しているようだ。4年振りでアルバム「アートオフィシャルエイジ」をリリースしたと思ったら、その後2年間で3作品(3rdeyegirlとの共演作含む)もリリースし、衰えぬクリエイティヴィティーには圧倒された。
それだけに、尚更この訃報には驚いた。心よりご冥福をお祈り申し上げます。(黙祷)
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