中野サンプラザ、ホールからアリーナへ (再開発計画の基本方針発表)

中野サンプラザ公式サイトへ1973年6月オープンの中野サンプラザは、SunHeroが生まれて初めて来日アーティストのライブを観た会場だ。誰を観に行ったのかと言えば、中学生が行くには渋すぎるHelen Reddy(1975年9月24日水曜日 開演18時)だった。マネージャーの旦那様と二人三脚で、アメリカのショー・ビジネス界で成功を掴み、Billboardのシングル・チャートで15曲のTop40ヒットを放ち、内3曲はNo.1に輝いた。2002年に芸能界を引退し、祖国オーストラリアで余生を送っているそうだ。

とにかく、当時中学生だったSunHeroには、何から何まで初体験だったから、開演時刻を数分過ぎて外国人男性がステージに現れたのには、面食らった。ピアノの弾き語りで数曲披露したが、知っていたのはOlivia Nweton-Johnに初の全米No.1ヒットをもたらした「愛の告白」(I Honestly Love You)だけだった。まだまだ洋楽初心者だったため、前座で登場したPeter Allenに全く興味は湧かなかった。日本のAORファン垂涎のアーティストに祭り上げられる遥か以前の事だから、貴重な経験もモッタイナイ事をしてしまった。

当時は国鉄・中央線で乗換ナシで行ける場所に住んでいたので、大変好都合だった。しかも、中野駅で乗り換えれば、日本武道館にも楽に行けた。社会人になって、様々なホールへ行くようになったが、2015年時点で集計しても、第一位が日本武道館(65回)、第二位は中野サンプラザ(34回)と、不動の訪問回数を誇っている。

とりわけ、中野サンプラザは当時の東京都内のホールとしては、恐らく駅から最も近い施設だったのではないだろうか?中野駅のホームから特徴的な外観の建物全体が、丁度視野に収まる大きさに見えたのも、親近感を覚えた要因のひとつだった。あれで道に迷うようなら、相当な方向音痴だろう。

当初は旧労働省管轄の勤労者福祉施設で、正式名称は「全国勤労青少年会館」だった。2004年に中野区に払い下げられ、株式会社中野サンプラザが同年12月から運営する施設になった。この時から、長年愛称だった中野サンプラザは、正式名称になった。苦節31年だ。

山下達郎のお気に入りのホールのだったので、老朽化による建て替えの噂があった際、「ようやくコンサート・ホールとして、音響が落ち着いてきたというのにトンデモナイ!」と言った主旨の発言があったらしい。だが、東日本大震災を経験して耐震補強の問題も発生したため、2012年6月に隣接する中野区役所庁舎共々建て替えるという方針が打ち出された。

だから、渋谷区庁舎と渋谷公会堂の建て替え事業が本格的にスタートした昨年、中野サンプラザの閉館も近いのではないかという噂が広まり、上層階の結婚式場や宴会場の予約が激減した。そこで、公式HPにわざわざ「中野サンプラザは平常通り営業しております」と掲示する事態になった。

とにかく、中野区というのは、東に隣接する新宿のベッドタウンのようなスタンスで、昔は区の玄関口である中野駅のすぐ近くに、東京都の清掃工場があったり、その北側には広大なキャンパスを有する警察大学校(2001年に東京都府中市へ移転)があった。

今や世界的な知名度を誇る中野ブロードウェイ(1966年竣工)や、中野駅から真っ直ぐブロードウェイまで続く参道のような中野サンモール商店街(1958年完成)は、地元商店会による自主的な駅前整備だったが、新宿に近すぎて地元民以外は素通り状態だった。

また、関東ではブランド・ファッションの発信基地として有名な丸井(〇|〇|)も、新宿に沢山の店舗ビルがあることから、新宿本館が本店と思われがちだが、発祥の地は中野駅南口だった。今や中野サンプラザの北側に立派な本社ビルを建てるほどに成長したが、昔は割賦販売をメインにした二流の百貨店という印象だった。

だが、いち早く「丸井の赤いカード」という自前のクレジットカードを発行して、割賦販売で高額商品を買い求め易くした商法は、いわゆる百貨店より先見の明があったと言えよう。長らくVISAやMasterCardといった国際カードとは組みせずに居たが、ようやく「EPOSカード」で信販事業も軌道に乗ったようだ。

そんな訳で、長らく影の薄い存在だった中野区だが、俗称・新宿厚生年金会館と呼ばれた東京厚生年金会館(2010年3月閉館→跡地には仮称・ヨドバシ新宿ビルが2017年3月竣工予定)が、新宿駅から徒歩15分以上もあり、東京メトロ・丸ノ内線の新宿御苑駅からでも6-7分掛かるという不便さだった。そこで、当時の労働省が目を付けたのが、中野駅北側の未開発区域だった。

中野サンプラザは、コンビニの三角サンドイッチのようなユニークな外観も手伝って、たちまち中野区を象徴するランドマークになった。そして、SunHeroの“外タレ”通いが始まった。高校生の頃には、放課後学校のトイレで私服に着替えて、直接コンサートに出掛けたこともあった。

そして、今年3月22日、中野区は2025年竣工を目標に、現在の区役所と中野サンプラザを取り壊して、マンションまで収容する全く新しい総合施設を建設するという基本計画を発表した。これにより、2,222席のコンサート・ホールは、日本武道館や代々木国立競技場第一体育館に匹敵する、一万人規模の多目的アリーナに生まれ変わる予定だ。

現区長によれば、長年親しまれたサンプラザの名前は残したいとのことだ。実際、日本各地に「サンプラザ」という名称が組み込まれた施設がある。その元祖こそ、中野サンプラザだ。また、今更説明の必要も無いことだが、元・爆風スランプのサンプラザ中野の芸名の由来でもある。ひょっとすると、新名称が“サンプラザ中野アリーナ”とかになったりして?とにかく、楽しみだ!

≪ついでに言わせてもらうけど・・・・≫

後はデフレにもアベノミクスにも為替レートにも全く影響されず、高騰し続けるチケット代、何とかなりませんか?その昔、友人KTと共に観に行ったBarry Manilowの初来日公演(1983年)の、5,000円の武道館公演を蹴って、当時としてはディナー・ショー並みの1万円もしたNHKホールを選択した決断も、Billboard Liveのコケラ落し公演(2007年8月)だったSteely Danの1ステージ=23,000円さえも、安い方だと思えるようになった現状には、怒りすら覚える。

とても不謹慎な発言なのは重々承知ですが、2020年の東京オリンピックについても、もう一度言いたい!木造の建物なんて、開会式に間に合ったとしても、直前に燃えちゃえばいいのに!! 今はまだ地球の裏側のテロだと油断しているようだけど、日本は先進国ではダントツNo.1のスパイ天国だって、昔から言われてるじゃない。開会式で聖火台に点火した途端、スタジアムが大火事になるような惨事(テロ)が起こる前に、焼け焦げちゃった方が、犠牲者ゼロで遥かに安心だと思いませんか?

東京オリンピック・パラリンピック競技大会組織委員会の代表理事=森元総理が招致前の皮算用を大幅に超過することが判明したら、「そもそも東京都が承知したんだから、仮設競技場の費用は都が負担すべきだ!」みたいな発言したようだけど、だったら東京招致活動なんか、初めから承知しなきゃイイじゃん!一般ピーポーだって、招致が決れば建設資材やら色々なモノが高騰するのは予想できるよ。

田中角栄の例を引き合いに出すまでもなく、高騰した分だけ政治家が私腹を肥やす事になるんじゃないの?だから、無駄なダムとか建設してきたんじゃないの?巻き添えになった桝添知事だって、自分から貧乏クジ引いたようなもんだろ?でもさ、こうなったら何とか踏ん張って欲しいけどね。

SunHero的には、「大阪都構想」をぶち上げた橋下さんの方が、よっぽど政治家らしく思えるよ。ただし、府知事や市長に選んでおきながら、最後には「NO!」を突き付けた府民や市民の皆様の大馬鹿ブリには、ほとほと呆れました。オマエら、ホンマ、阿呆ちゃいまんねん!パーでんねん!(ちなみに、直近4回の都知事選では、SunHeroが投票した候補者はコトゴトく落選しました)

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