
話が逸れた。ホルストの『木星』は、海外では壮大で優雅な曲想から、様々な歌詞が付けられて、色々な歌手が歌っている。だが、日本では、ドヴォルザークの「交響曲第9番:新世界より」の第2楽章の冒頭のメロディから生まれた「家路」ほど有名ではなかった。平原綾香によって日本でも広く知られるようになった「ジュピター」の場合は、そうした状況を踏まえていたレコード会社の販売戦略に、初めから勝算があっただけだ。
クラシック、特に交響曲に精通している人なら、モーツァルトの交響曲第41番と答えるかもしれない。多作家のモーツァルトはイチイチ曲名を付けなかったらしく、他の音楽家が曲の印象から「木星」と名付けたのが定着したそうだ。元々、ギリシャ神話のゼウス、ローマ神話のユピテルのことで、絵画に描かれると大抵は男だ。
ところが、この映画の題名になっている主人公のジュピターは若い女性だ。金持ちの家の掃除で生計を立てている貧乏一家の娘だ。それが得体の知れない連中に命を狙われ、謎の男に助けられる。本人すら知らなかった事実が伝えられ、滑稽なほど分不相応な手続きを経て、本来のアイデンティティ(身分)を手に入れる。
彼女は王家の完璧な遺伝子を受け継いでいたため、全宇宙に於ける覇権を争うアブラサクス王朝の三兄弟が、それぞれの思惑から彼女を利用しようと企んでいたのだ。長男バレムは王位を守るため彼女の暗殺を企て、次男タイタスは彼女との形式的な結婚によって正当な王位継承者になることを画策する。長女カリークは名よりも実を求めて、兄弟喧嘩の合間に先手を打って、地球人を収穫してしまおうと秘密裏に準備する。
遺伝子操作により生まれながらに戦士として鍛えられたケインは、元々使えていた王家を見限り、真に全宇宙の女王に相応しい血筋のジュピターに忠誠を誓う。当のジュピターは、折々に助けに現れるケインに好意を抱く。やがて、ジュピターは家族を、延いては人類を守るため、アブラサクス王朝の野望を粉砕すべく奮闘する。
着想は面白いし、きめ細かい映像は煌びやかで美しい。だが、キャッチコピーの「マトリックスから16年。映像革命の、新章がはじまる。」と言われても、徒に期待が膨らむ分、何がどう凄いのか、映画館のスタッフを捕まえて、問い質したくなった。
きっと本作の真価が明らかになるのは、今年末公開予定の「スターウォーズ」と見比べた時なんじゃないだろうか?あれの単なる前哨戦に過ぎない作品だと判明したら、ウォシャウスキー姉弟にとっては大きな汚点であり、巨額の制作費を投じた映画会社にとっては取り返しのつかない駄作ということになる。
一方、ディズニーランドのアトラクションが取り持った縁で、ついにディズニー映画として公開される「スターウォーズ」も、世界中のファンが過去6作を凌ぐ作品を期待している。赤字も想定内だった「トロン:レガシー」みたいな甘えは、モチロン許されない。今頃になって、こんな風にワクワクしているSunHeroって、端から見たら救いようのないアホなんだろうな。
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